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「箱崎釜破故」より麻井(浅井)四郎左衛門の妻お綱のこと

2022年01月14日 17:27

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/14(金) 17:08:56.97 ID:oR2DBSob
箱崎釜破故」より麻井(浅井)四郎左衛門の妻お綱のこと
(数種類のバージョンがあるようだが広島大学図書館が往来物(寺子屋の教科書)として公開しているものを元にした)

黒田忠之には北の方(采女)という愛妾がいたが、新しく江戸から十六の愛妾を二の丸に住まわせたため、
采女の方は自身が取り立てた麻井四郎左衛門という侍に妻として下げ渡すことにした。
四郎左衛門にはお綱という妻と二人の幼少の男子がいたため断ろうとしたものの主命ということで断りきれず、お綱は離縁となった。
四郎左衛門も離縁後しばらくはお綱の元に忍んで行ったものの、お綱の嘆き繰言をするのをうるさく思うようになった。
また先妻に通っているのを後妻の采女が禁止したため、せめて二人の男児だけは引き取ろうとしたが、
「血のつながっていない子を後継にはさせません。実母に養育させればいいでしょう」という采女の意見に押され、それ以降お綱のもとに通うことはなくなった。
四郎左衛門が通わなくなり二年が経ち、援助もないため、お綱は生活も事欠くようになった。
寛永七年霜月二十七日の夜、絶望したお綱は南無阿弥陀仏と称名を唱え、短刀を二人の息子(四歳と六歳)の胸に刺した。
息絶えた二人にお綱は
「恨むなら父上と父上を寝取った女を恨みなさい。母も敵を討ったらお前たちのところに行くからね」
と言って、装束を改め、鉢巻を締め、長刀を持って四郎左衛門の屋敷に向かった。
お綱を見た門番は仰天し「夜中に何者なり?」と声を上げたが一刀のもとに切り伏せられた。
お綱が寝屋と思われる方へ進んでいくと、浪人浅野彦五郎というものが刀を持って参じ、しばらくお綱と切り結んだ。
そのうち彦五郎の刀がお綱の左肩に打ち込まれ、お綱は「口惜しや残念やただ一歩のところで」と怒りの声を上げて斃れた。
お綱の死に顔は眼を見開き歯を食いしばり、というものすごい形相であった。

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/14(金) 17:10:45.59 ID:oR2DBSob
翌日、四郎左衛門が采女に「まあ、あいつも生き恥を晒すよりは死んだ方が幸せだったな」と語っていたところ、屏風の影からさわさわという音がした。
屏風を開けるとお綱が生前の姿のまま立っており、采女は「あっ」と一声叫ぶや、舌を三寸ほど噛み切って死んでしまった。
四郎左衛門は忠之に対して采女の死因について病死であると届け出たものの、ことのなりゆきが忠之の耳に達し、
忠之は怒り、お綱の死骸を暴いて竹の串で貫き、路上に晒した。
往来を通る者で「嫉妬ゆえこのように晒されることになった」と嘲った者どもが数十人あったが、どの者も言った途端に狂ってしまった。
忠之はますます怒り「にくき女め」と穢多に命じて死骸を微塵に打ち砕き、川に流すよう命じた。
この役を行った穢多十二人は、たたまち様々な恨み言を述べて狂死したため、この十二人を一箇所に葬った。今日ではこの塚を穢多塚と言っている。
お綱の死骸を打ち砕くのを見分した役人も即時に発狂して、帰るや門の礎に頭を打ち砕いて死んでしまった。
その後、四郎左衛門は怨霊に悩ませられ痩せ衰えてしまい、これを聞いた忠之は不憫に思い四郎左衛門の元を訪れた。
四郎左衛門のあまりの変わりように忠之は驚き、詳しく尋ねると
「毎夜子の刻に前妻が苦しげな様を見せつけてきて熱が出てきます」と答えたため
忠之が「よし、われが邪気を退けてやろう」
とうけあったところ、四郎左衛門は涙を流し喜んだ。

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/14(金) 17:12:21.01 ID:oR2DBSob
こうして忠之は浅野彦五郎を含めた勇士二十四人を選び、
日光一文字の刀(北条早雲が日光二荒山から貰い受け、北条氏降伏の際に如水に贈られた)、岡本正宗の短刀(忠之の元服祝いに家康から下賜された)、
碇切(長政が朝鮮で碇ごと間者を斬った)、返切(へし切り長谷部)、安宅(如水の四国攻めの際に敵将安宅貴康を斬った)、権藤の長刀(如水が朝鮮で虎に襲われた時に権藤という武士がこの薙刀で虎を仕留めた、もしくは高橋元種の部下・権藤平左衛門が18人を斬った)
といった黒田家の名刀を持たせ、正宗の刀は四郎左衛門の枕元に置くように手配させた。
勇士たちは霊魂よ来るなら来い、と豪語していたが、夜になり、二十四、五才ほどの女がほほと笑って病人の枕元に近づいても、おのおの身の毛がよだち、腕がすくみ、身動きが取れなくなった。
四郎左衛門がしばらく熱で焼けるほど苦しんだ後に女は出ていったが、勇士たちはまたも身動きが取れなかった。
われながら情けなく思った勇士たちは翌夜、名誉挽回を期し、彦五郎は自ら正宗の短刀を抱いて四郎左衛門と寝床に臥した。
丑満の頃、生首が出現し四郎左衛門の上を通ったところ、四郎左衛門は一声うめくや、むなしく息絶えてしまった。

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/14(金) 17:19:46.55 ID:oR2DBSob
忠之は麻井四郎左衛門夫婦の追善供養をしたものの、麻井の跡目を継ぐものがなかった。
そこでお綱を殺した褒美ということで浪人浅野彦五郎に麻井の跡目二千石を相続させた。
しかし彦五郎は「悪口を言った者、死骸晒しの時に立ち会った役人までも狂死しているのだから自分も祟られるかもしれない」
と檀那の寺で相談し、六ヶ寺でお綱の仏事を行うこととした。
このことは隠密であったがなぜか忠之の耳に達し「言語道断、われの敵の女が肩を持つか」と忠之は怒った。
そのとき佞人があり、彦五郎が正宗を抱き臥した後返していない、と忠之に告げた。
忠之からの詰問に驚いた彦五郎が家中をくまなくさがしたところ、麻井家の箪笥のなかに置いたまま失念していたことが判明し
失念していたと忠之に申し上げたものの、盗人ということで平人に落とされ、五歳の男児ともども釜煎の刑に処せられた。
また六ヶ寺の住持は皆衣を剥ぎ取られ俗名に戻され流罪にされた。
一説にはお綱の幽霊が正宗を箪笥に忍ばせ、彦五郎に殺された恨みを果たしたのではないかと言われている。
(このあと黒田騒動の話になる)

なお「箱崎釜破故」の他のバージョンでは彦五郎に請われてお綱の供養を行ったのは空誉上人であり、
そのために忠之により背を割り鉛を流し込まれるという刑罰を受け、浄念寺の和尚がこっそり放置されていた死体を持ち出し自分の寺に葬ったことになっているようだ。
荒唐無稽な話でお綱自体も創作だと思われるのだが、
福岡城の扇坂門はかつて「お綱門」と呼ばれていて、その門に男が手を触れると熱病にうなされたという伝説があったとか。
福岡市中央区の「お綱さんばなし」というページによれば、大筋は同じだが四郎左衛門は登城していたため屋敷にはおらず、
浪人「明石」彦五郎に斬りつけられたあと、四郎左衛門のいる城に行こうとしたが扇坂門に手をついたところで息絶えたため「お綱門」と呼ばれたことになっている。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    江戸時代の怨念話の凄まじさ。
    この箱崎釜破故、浅野彦五郎写で出版年(西暦)1631年(和暦)寛永8年とある。彦五郎は五歳の男児ともども釜煎にされたんじゃなかったのか。他の人名を出すと差し障りがあるので自分の名を使ってフィクションとした? それにしても忠之はまだ存命中。しかも黒田騒動前夜だ。
    忠之の嫌われぶりを示す読み物と思ったがワケわからんなあ。このデータの見方がおかしいのかしらん。
    tp://dc.lib.hiroshima-u.ac.jp/text/metadata/311

    忠之自身、長政が先妻である蜂須賀の娘を追い出して嫁に取った徳川の姫の嫡男でもあるし、それも因縁として伏線に置いているのだろうか。
    何かと興味深い。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    直ぐ前の「紅陽法印」と一週間前の「高要」の話を読んで来た。元になったような実話はありそうだな。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※1殿
    下巻の末尾を読むと最後に浅野彦五郎の墓について記してあり「義翁宗忠居士 俗名浅野彦五郎」
    と戒名と俗名が書かれているため、
    これを書き写した人物の名前だと勘違いしただけではないかと

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ついでに戒名の前に「右の刑罰(釜煎)により寛永八年殁」と書かれているため、登録の際にこれを筆写年代と勘違いしたのではないかと

  5. 人間七七四年 | URL | -

    すべて黒田忠之がわるい

  6. 人間七七四年 | URL | -

    これはこれは。
    ※3様
    有り難う御座います。
    かーー…
    やっぱり釜煎にされたんだ。でもって戒名が義翁宗忠居士。忠之の暗愚に多くの人が憤ってたのが感じられる。酷いな。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    黒田忠之の愚かさが際立って理解できる記事だった。
    何かもう、一族に間違って生まれてしまったレベルの仁。筋の通らない得体のしれないベクトルの知性の持ち主。
    長政が次男に跡を継がせようとしたのも分かる。忠之を推した栗山大膳と後に対立したのも暗愚なればこそだろう。大膳は色んな破滅のパターンを見越していたんだろうな。後々栗山家が黒田家に戻らなかったのも納得。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    釜煎の刑罰地とされるところに自性院閻魔堂ができ、そこに彦五郎の墓が建てられたようなので
    この話が広まった後に供養のために建てられたのかと
    屋敷跡については長宮院という寺ができ、そちらはお綱と二人の子供の墓があるそうです
    (これも後世のもの)

  9. 人間七七四年 | URL | -

    滅んでもいない家なのにここまで扱いが酷いのはなかなか見ない
    身内も弁護の余地がないほどのバカ殿だったのだろうか

  10. 人間七七四年 | URL | -

    怒らないでくださいね。黒田忠之ってバカみたいじゃないですか

  11. 人間七七四年 | URL | -

    モブならいくらでもキルしてもいいというノリ
    忠之を祟れよw

  12. 人間七七四年 | URL | -

    モブでもお綱に殺されてるのが
    武家、性格の悪い町人、穢◯で
    ふつうの町人は免れているのが意図的なようで

  13. 人間七七四年 | URL | -

    なぜ忠之を祟らんのだろう?

  14. 人間七七四年 | URL | -

    そら忠之を祟ったことにしたら流石に罰せられるからかも。
    だから外した、でも皆知ってる。誰も本当は祟られてないけど、それだけのことを忠之はやったのだ。怨霊染みて書いてしまった。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    祟られても本人がお馬鹿で気付かなかったとか?

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