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真田はこの兜を着け、件の馬に乗って

2022年01月26日 17:21

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/26(水) 11:06:52.44 ID:WTGde5Db
記に、この頃武田信玄の家人であった、原田隼人正(一説に貞胤と諱するとあり)という者が在ったが、
勝頼滅亡のあと、浪人していたのを、越前少将(松平)忠直朝臣聞かれ、「彼は無双の剛の者なれな」と、
召し抱えられ、黒母衣の衆に加え軍使とされていたが、彼は真田左衛門佐と旧友であった。

大阪冬の陣が御和談になると、真田は頻りに彼を招いたが、原田は「自分では判断できない。」として
忠直朝臣にお伺いを立てた。忠直は「行って対面すべし。」と許された。

原田隼人正は喜んで、真田の陣屋に至ると、左衛門佐は様々に饗応し、往時などを語り、互いに袖を濡らした。
酒宴も終わると左衛門佐は言った

「それがしは今度討死を遂げるのだと思っていたのだが、不慮の御和睦となり、今日まで命を永らえ。
貴殿と再び見参できたことに悦び入っている。身、不詳では有るが、今回一方の大将を承ったことは、
生前の面目、死期の思い出と存じている。

御和睦も一旦の事であり、遂にはまた一戦があると推量している。
それがしも一両年の間には討死せんと思い定め、臨終の晴に、あそこの床の上に飾り置いた、
鹿の抱角(だきつの)を打った冑だが、あれはそれがしが先祖重代の家宝であるのを、父安房守より
譲り請うたものであり、これを着けて討ち死にを遂げたいと思っている。
もし、この冑をご覧に於いては、それがしの首であると思し召され、一遍の御回向に預かりたい。」

そのように語ると、隼人正はこれを聞いて
「戦場に赴く身は、誰が生き残ろうとするだろうか。遅れ、先立つとも、互いに冥土にて再会すべし。」
と笑った。
その後に、左衛門佐は白河原毛の馬に白鞍に金を以て六文銭を付けたものを曳き出させ、自ら騎乗して
地道を乗りながら、

「今度合戦があれば、城郭は破却されており、平場の戦と成るだろう。然れば平野辺りに駆け出て、
東国の大軍に馳せ合わせ、この馬の息の続く限り戦って討死を遂げようと存じており、そのために一入、
この馬を秘蔵しているのだ。」

と言って馬より下り、また酒宴になり、暮れに及んで隼人正は帰ったが、翌年五月七日、真田は
この兜を着け、件の馬に乗って討ち死にしたことこそ哀れであると云われた。

新東鑑



983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/26(水) 11:16:19.69 ID:ZiC+auCQ
新東鑑の凡例を見ると「記とは難波戦記をさす」とあり
増補難波戦記「禁裏より七箇条を仰出さるる事 并真田幸村原貞胤の事」にほぼ同じ話があるので
出典はそちらの方がいいかと
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -


    真田「(影武者を出すから……わかってるな?目印まで教えたぞ)はははっ」

    原田「(それを獲って手柄にせよ、と。……越前家中に目印を触れ回っておこう)こいつめ、はははっ」

  2. 人間七七四年 | URL | -


    真田「(影武者を出すから……わかってるな?目印まで教えたぞ)はははっ」

    原田「(それを獲って手柄にせよ、と。……越前家中に目印を触れ回っておこう)こいつめ、はははっ」

  3. 人間七七四年 | URL | b5.M5V.g

    以前にも「勇士の名を汚さぬよう」という題で同じような内容のがあるね

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