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週刊ブログ拍手ランキング【01/27~02/02】

2022年02月02日 14:48

01/27~02/02のブログ拍手ランキングです!


お前の子供を我に預けてくれれば 14

「朝野雑載」より尾藤知宣の話 11

毛谷主水について 9
豊後の佐伯太郎惟定は、驍勇智謀の将であった 9
そのうめる子、越中守忠興なり 9

怪談 福博の夜ばなし④ 空誉上人 8
しかれば太閤は父の讐なるに 8
唐人の智謀おそるべし 8

その方の分際にて、景勝の武辺の事を申すは 7
お綱さんばなしの長宮院について 6


今週の1位はこちら!お前の子供を我に預けてくれればです!
「明智左馬助の湖水渡り」でも有名な、明智秀満の出生についてのお話。光秀自身もそうですが、明智家中は、結果的に
滅びてしまった事もあって、出自等がよくわからない人物が多いという印象がありますが、明智秀満もその代表格と
言っていいのでしょう。しかし同時代史料にもしっかりと出てくる人物で、当時、明智家中において重きを成していた事も
確かです。
ここでは鍛冶屋の子とされ、光秀に見込まれ足萎えを治してもらい、更に取り立てられたとありますが、このあたりは
本能寺後の忠義から逆算して彼の受けた「恩」を強調しているようにも見えます。しかしこういった逸話が
形成され記録されたのも、後の世で明智秀満という人物について、人気があり広く興味を持たれた、ということの裏返しでも
あるのでしょう。明智光秀は本能寺後も、わりと世間的には好意的に受け止められていますが、その一因として
彼の家臣である秀満の存在も有ったのだろうな、なんて事をふと思ったお話でも有りました。

2位はこちら!「朝野雑載」より尾藤知宣の話です!
尾藤知宣といえば、木下・羽柴時代の秀吉を支え、後世「羽柴四天王」などとも称される人物ですが、このお話にもあるように
九州役での「不首尾」により追放されました。しかし佐久間兄弟もそうですが、秀吉に寄って追われた人々が、小田原北条氏に
仕えた、或いは仕えたという伝承があるのは面白いですね。小田原役当時の後北条氏と立場は今も議論のある所ですが、
やはり秀吉に対して、他の豊臣大名と比べて強い独立性を有していたと見られていたことが解ります。
またこの秀吉の判断は、元から敵対していた者と、そもそも身内だったのに裏切った人間への処分は別、という発想
なのでしょう。これについては秀吉の考え方のほうが解る気がします。まあ、尾藤知宣が北条に仕えたのかどうかは
判然としないのですがw
武士の身の処し方についても考えさせてくれる、そんな内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!豊後の佐伯太郎惟定は、驍勇智謀の将であったです!
佐伯惟定という人物は若くして、客将であった山田匡得(宗昌)の補佐も有り豊薩合戦にて大いに活躍し、島津軍から非常に
恐れられたと云われます。この佐伯・山田は九州戦国史でも屈指の名コンビとして、地元などでは人気があるそうです。
この逸話では二重の伏兵を用意し島津豊久の軍を陥れるなど、実にテクニカルな策略を為していますね。
彼は大友家改易後は藤堂高虎に仕え、関ヶ原、大阪の陣でも戦い、重く用いられ、佐伯家は藤堂家の重臣層として
明治を迎えます。
末期の大友家は家としてはパッとしないところが多いのですが、家臣層は多士済々で、なんでこれで島津にいいように
やられていたのかと思うことがありますwこの佐伯惟定もそんな人物の一人ですね。
なんてことも考えたお話でした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやって下さいね!
(/・ω・)/
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