6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/04(金) 00:55:25.95 ID:93vQYRHj
豊後の臼杵に、吉田一祐という者があった。力は片手で百斤(60kg)を挙げても重いとも思わず、
鎧は銃弾が穿つことも出来ないほど厚いものを着し、二尺七寸(約81cm)の腰刀、一尺八寸(約54cm)の
短刀は、それぞれ厚さ三寸半(約10cm:本文ママ)に作り、刃は蛤貝の耳の如くであり、挟み抜いて
これを振るに、竹を振るよりも軽々としていた。
ある年、薩摩の軍が豊後を攻めた時、味方が敗走した。これに一祐は怒り、声を上げて逃げる味方を
叱咤し励ましたがなお止まず、そこで一祐は彼等より先に走り退いて、土橋の前に来ると、
自身の三間柄(約5.5㍍)の鑓を横たえ、土橋を渡ろうとする味方を推し留めようとした。
鑓の柄の所まで逃げ掛って来た者が三、四十人。一祐は鑓の柄を握り、鎧の胸に当て、
「曳け!」という声とともに推し還すと、三、四十人の者達は後ろ足に成って推し還されること
二十歩ばかりであった。一祐は大声で呼びかけた
「私がここに在る以上、この橋を渡すことは出来ない。この橋を渡らねば、川は折節秋水漲り、
底も知れぬほど深い。ここに堕ちて溺死するか!
敵も人なり、我も人なり。怯者が負け勇者が勝つだけのことだ。どうして父祖の姓を汚し、子孫に
辱めを残すということを考えないのか!」
そう、跳ね上がり、地を踏み鳴らして諌め立てると、皆引き還し、迎撃に出て薩摩軍を退却させた。
(志士清談)
豊後の臼杵に、吉田一祐という者があった。力は片手で百斤(60kg)を挙げても重いとも思わず、
鎧は銃弾が穿つことも出来ないほど厚いものを着し、二尺七寸(約81cm)の腰刀、一尺八寸(約54cm)の
短刀は、それぞれ厚さ三寸半(約10cm:本文ママ)に作り、刃は蛤貝の耳の如くであり、挟み抜いて
これを振るに、竹を振るよりも軽々としていた。
ある年、薩摩の軍が豊後を攻めた時、味方が敗走した。これに一祐は怒り、声を上げて逃げる味方を
叱咤し励ましたがなお止まず、そこで一祐は彼等より先に走り退いて、土橋の前に来ると、
自身の三間柄(約5.5㍍)の鑓を横たえ、土橋を渡ろうとする味方を推し留めようとした。
鑓の柄の所まで逃げ掛って来た者が三、四十人。一祐は鑓の柄を握り、鎧の胸に当て、
「曳け!」という声とともに推し還すと、三、四十人の者達は後ろ足に成って推し還されること
二十歩ばかりであった。一祐は大声で呼びかけた
「私がここに在る以上、この橋を渡すことは出来ない。この橋を渡らねば、川は折節秋水漲り、
底も知れぬほど深い。ここに堕ちて溺死するか!
敵も人なり、我も人なり。怯者が負け勇者が勝つだけのことだ。どうして父祖の姓を汚し、子孫に
辱めを残すということを考えないのか!」
そう、跳ね上がり、地を踏み鳴らして諌め立てると、皆引き還し、迎撃に出て薩摩軍を退却させた。
(志士清談)
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コメント
人間七七四年 | URL | -
和製張飛益徳?
( 2022年02月04日 19:35 )
人間七七四年 | URL | -
三寸は三分の間違いだよな
三寸じゃ刀というよりもはや鉄塊やん
( 2022年02月04日 20:31 )
人間七七四年 | URL | -
痛快!
( 2022年02月04日 21:43 )
人間七七四年 | URL | -
豊後の吉田氏は立花氏に仕えたのもいるみたいだけど、この逸話の一祐は後の領主太田一吉に一族滅ぼされちゃったみたいだね
( 2022年02月04日 21:46 )
人間七七四年 | URL | -
※4
これですね。
栗山城跡
tps://www.city.usuki.oita.jp/docs/2014020500431/
( 2022年02月04日 23:09 )
人間七七四年 | URL | b5.M5V.g
※1
張飛は橋を落として川を盾に敵兵を挑発したけど
曹操は軍を渡河可能な地点に迂回させて追撃続行させてる
この吉田一祐は味方の退路を断って戦闘続行を強要したので
渡河後に船を沈め食料を破棄して真の背水の陣を取らせた項羽って感じ
有名な韓信の背水の陣は川を背に砦を築いて大軍に包囲されないよう気を配ったもの
( 2022年02月05日 15:12 [Edit] )
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