332 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/02/09(水) 21:13:26.24 ID:Dw9mTBTQ
山本勘助物見の松 異聞と提灯づるね
山本勘助物見の松より南西の方向、下久堅虎岩と接する尾根筋一帯に提灯づるねとか提灯ずるねと呼ばれる公園がある。
勘助は物見の松に上って神ノ峰城の様子を偵察すると夜襲をしかけて城に火を放って一気に攻略したという。
この時、城の西側に位置するこの場所に沢山の提灯をつるして大軍が居るように見せかけて、敵の注意をこちらに引きつけ、城の東側から
攻め込んだともいわれている。
余談ではあるが同じような逸話が毛利元就にもある。
謀神の佐東銀山城攻め
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8468.html
こちらも、毛利元就が1541年に安芸武田氏が支配する堅牢な佐東銀山城を攻めるのに搦手に位置する長楽寺(広島市安佐南区)を調略したのち、
城の大手門側に位置する太田川へ地元住民に油に浸した千足の草鞋を作らせて夜に火をつけて流し、城兵の注意を大手門側に引き付けたのち、
搦手から攻め上って城を落としたというものである。
ただの偶然なのか後世にどちらかを参考に作られた逸話なのか?
面白いのは元就が作らせた千足の草鞋から来る千足、勘助が提灯を吊るさせたづるね(ずるね=尾根を意味する)
いずれも現代に地名として残っているのである。
飯田市ホームページ
https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/kannomine.html
山本勘助物見の松 異聞と提灯づるね
山本勘助物見の松より南西の方向、下久堅虎岩と接する尾根筋一帯に提灯づるねとか提灯ずるねと呼ばれる公園がある。
勘助は物見の松に上って神ノ峰城の様子を偵察すると夜襲をしかけて城に火を放って一気に攻略したという。
この時、城の西側に位置するこの場所に沢山の提灯をつるして大軍が居るように見せかけて、敵の注意をこちらに引きつけ、城の東側から
攻め込んだともいわれている。
余談ではあるが同じような逸話が毛利元就にもある。
謀神の佐東銀山城攻め
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8468.html
こちらも、毛利元就が1541年に安芸武田氏が支配する堅牢な佐東銀山城を攻めるのに搦手に位置する長楽寺(広島市安佐南区)を調略したのち、
城の大手門側に位置する太田川へ地元住民に油に浸した千足の草鞋を作らせて夜に火をつけて流し、城兵の注意を大手門側に引き付けたのち、
搦手から攻め上って城を落としたというものである。
ただの偶然なのか後世にどちらかを参考に作られた逸話なのか?
面白いのは元就が作らせた千足の草鞋から来る千足、勘助が提灯を吊るさせたづるね(ずるね=尾根を意味する)
いずれも現代に地名として残っているのである。
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https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/kannomine.html
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