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幸若与太夫の事

2022年02月10日 15:34

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/09(水) 21:09:21.03 ID:PL0ndWH3
或る本に、舞を舞う者の伝によると、幸若与太夫という人物は清和源氏の末、岩松治郎経家の後裔であった。

与太夫の父・蜂屋という者、安祥殿(松平清康)・岡崎殿(松平広忠)の二代に仕え。度々高名を顕し
近習に召し仕われた。
しかし、心が狂したのか、岡崎殿を討ち参らせんとして、誅殺された。人、その故を知らず。

その子である与太夫はこの年に生まれて襁褓にあった。岡崎殿は不憫に思し召されたか
「蜂屋は我に仕えて終に二心無かった。それなのに今、何の故があって私を失おうと思うだろうか。
狂気の至りであること疑いない。であれば、彼の年来の奉公に鑑み、その子の命を扶けるべし。
ただ成人の後に法師になるべし。」
と仰せに成られ、針崎の正満寺に預けられた。しかしここは妻帯の寺(浄土真宗)であり、
住持の僧にするのも不憫であるとして、幸若の弟子として舞を習わせた。

家康公の御時に、針崎を始めとして寺院悉く背いた(三河一向一揆)。与太夫は針崎で成長し
人となったのであるからその恩は深かったが、それでも寺を去って家康公の味方に参り、度々の
戦忠を致した。

後に秀忠公・家光公はこの事を知り召され、与太夫の子である与三太夫を御咄の衆の末に
召し出され、舞い舞う事をも許され給おうとされたのであるが、程なく薨じられたために、
その事も止んだと言われる。

新東鑑



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    松平とかいう家臣に暗殺されかかるのが伝統の家

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この鹿毛と申すは

    赤いちょっかい皮袴

    茨かくれの鉄甲

    鶏のトサカ立烏帽子

    前田慶次の馬にて


    冗談じゃねぇや!!

  3. 人間七七四年 | URL | -

    歌舞伎界の中では与太夫は越前の人って認識みたいだが、はてさて

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