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釜ヶ淵の化生

2022年02月19日 15:52

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/18(金) 21:17:33.64 ID:Y94FHw/O
天文三年(1534)、芸州吉田、釜ヶ淵に化生の者が出て、近辺の男女児童を掴んで淵に引きずり込んだ。
民間の者達は恐れ、この地域の往来が絶えた。
大江(毛利)元就はこれを聞くと、「早く退治すべき」と下知をしたのだが、家中の者達は
「大蛇か、鬼のたぐいか」と衆議喧々にして、あえて進み出る者は無かった。

この時、荒源三郎元重という者が、「大蛇、鬼の類であっても、壮勇を以て退治すれば容易いことだ。」と、
この役目を引き受けた。彼は身長七尺(約210センチ)、十人力と言われる大男で、太刀を取って
釜ヶ淵に行き、裸に成って下帯に太刀を差し、水の中に入ると

「この淵の化生、確かに聞け!人民を悩ますその咎によって殺害の為、荒源三郎元重、主命を
承ってここへ来た。出て勝負せよ!」

そう大音に呼びかけると、淵の底鳴り響き、逆波立って水は岸に溢れ、源三郎の両足が水中より
ひしと取られ引きずり込まれんとした。源三郎は足を掴んでいるその両手を取って引き合ったが、
まるで山の如く動かなかった。その者の面を見ると、それは淵猿(河童)であった。

源三郎は兼ねて『淵猿は、頭頂部のくぼんだ所に水があると力があるが、水のないときは力がない』と
聞いており、これの頭を執ろうとしたが、滑って非常に執りにくかった。しかしどうにかして終に
頭を掴み、逆さまにして振り回すと、頭上の水が溢れて力が弱った。これを持ち上げて岸に上がり、
縛って城中へ連れ帰った。

元就は源三郎の勇猛を賞して、加増五十貫、来國行の太刀を賜った。しかしこれに源三郎

「私は数度の戦で敵を討ち取りましたが賞禄は少なく、ですが更に不足とは思いませんでした。
今、この畜類を生け捕ったとして過分の恩賞を頂くのは、却って不快です。」

そう打ち笑って、恩賞の刀を置いて退出した。源三郎にとってその功は誇るべきものでな無いのだろう、
と云われた。

志士清談



24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/18(金) 21:53:49.13 ID:lZwU7FsR
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3822.html
柳田國男も書いてるようだから調べたら
山島民譚集の「河童駒引」に「老媼茶話」にその話があると書かれていた。(自分が読んだ「老媼茶話」にはなかったが)

ついでに柳田國男によれば、
この話は仁徳天皇の御代に吉備の川島河の縁において笠臣の祖縣守という勇士がミズチを退治した話とよく似ているが偶然だろう。
「武家高名記」「陰徳太平記」「志士清談」にも同じ話があり(南方熊楠氏のご教示による)
芸藩通志の高田郡吉田村釜淵の条には、荒源三郎(井上元重)がカワワラワを生捕りした故跡と書かれている、らしい
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    かわわらわ=河童=淵猿 か。
    河童って、もしかしたら子どもが溺れて助けたら別の子どもの遺骸も上がって化け物の仕業と見做され伝承が始って、で出来たのかもしれない。嫌な想像しちまった。でも子どもが河に引き込まれる場所って案外歳月越えて同じ。遊びに面白そうで子どもを惹き付け、滑りやすく深い、登り難い。
    この伝承似ついては豪傑相手だから、もっと荒唐無稽な化け物を期待した。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この元重さんは1550年の井上一族大粛清で元就か隆景によってサツガイされたみたいね。

    あゝ無情

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >>荒元重
    の方で検索掛けたら、ウェブが気を利かせて「荒木村重の事でしょ?」と
    丁寧にウィキのページまで紹介してくれる・・・

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