42 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/02/22(火) 20:55:29.29 ID:V3AWK7vN
転生したらお殿様だったでござる の巻
どこかで見たこと有るようなタイトルだとかそういうことは置いといて、
四国・高知の足摺岬には足摺七不思議と言われる場所がある。
今日はその11番場所である「犬塚」(犬の墓)に伝わる話を物語りたい。
七不思議なのに11番ってどういうことだよ あーっ
と思った貴方、足摺の七不思議は21あると言われているんだ。悔しいだろうが仕方が無いんだ。
土佐清水市のホームページにも※七不思議とは、不思議が七つあるという意味ではなく、多くの不思議があるという意味です。
と記載があるので言葉の意味はよく分からんが、とにかく足摺の七不思議は21あるんだと覚えておけばいいと思います。知らんけど。
さて、当地の看板には以下の様に記されている。
その昔、日の本が乱世の時代のこと、この地には一人のお坊様がいらっしゃった。
乱世を嘆くお坊様はある日、一つの願いを掛けて足摺岬から飛び降りたとも、補陀落渡海に出たともいわれている。
その願いはこうである。
「この乱世を立て直すため、一国一城の主となって生まれ来たらん」
お坊様はこういうと手のひらに南無阿弥陀仏の文字を書いて握りしめ、断崖から飛び降りた(または補陀落渡海に出た)という。
このお坊様を慕う一匹の犬がおり、犬はお坊様が姿を消したあと、その場を一歩も離れず飲まず食わずでその場にとどまりお坊様を待ち続けたという。
そして、遂にはその場で犬は息絶えてしまい哀れに思った近隣の村人たちはその場所に犬塚を建てたのだという。
それから幾百年の時が過ぎた・・・。
この土佐の地を治める殿様の手のひらには黒い生印があった。殿様はこの話を聞いて自分はこのお坊様の生まれ変わりではないか?
と、思うようになったという。その殿様の名は・・・
山
内
忠
義
土佐山内家の二代藩主にして、土佐の大酒豪様であり幕府の破戒者である。
江戸城で酒宴があれば飲み過ぎてゲーしたり二条城で酒を飲めば帰路、駕籠に仁王立ちになって京をの大路を練り歩き、
紀州徳川家屋敷で飲んで鎌髭の男を見れば髭を掴んで離さない悪絡み・・・
太平の世を築くことを願って足摺から飛んだあのお坊様は幾百年の月日を経て、この様に立派な酒らn・・お殿様に生まれ変わって土佐に戻って来たのである。
んなわけねーだろ
と言いたいところであるが、本人がそう言っているのでそういうことなんだろう。ひょっとするとこの話を聞いた際は一杯飲んだ後だったのかもしれない。
もしくは寄付するための口実というかその場のノリとか勢いだったのかもしれない。
(素面の時の)山内忠義公は足摺山金剛福寺を深く信仰し、度々参拝に訪れ本堂・仁王門・十三重の塔など数多くの寄進を行っている。
そしてこの時以降、金剛福寺は山内家と同じ三ツ柏の家紋を頂いているのである。
土佐清水市 足摺の七不思議
https://www.city.tosashimizu.kochi.jp/kanko/g01_7fushiji.html
足摺の七不思議|足摺国際ホテル
https://www.ashizuri.co.jp/sightseeing/nanahusigi.html
44 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/02/22(火) 21:04:59.71 ID:V3AWK7vN
山内忠義公の酒が入った時のお話はこちら
山内忠義と鎌髭のお話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13087.html
山内忠義の酒豪伝説
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13157.html
45 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/02/23(水) 04:57:47.34 ID:fLcecSJp
第38番札所 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺
https://88shikokuhenro.jp/38kongofukuji/
転生したらお殿様だったでござる の巻
どこかで見たこと有るようなタイトルだとかそういうことは置いといて、
四国・高知の足摺岬には足摺七不思議と言われる場所がある。
今日はその11番場所である「犬塚」(犬の墓)に伝わる話を物語りたい。
七不思議なのに11番ってどういうことだよ あーっ
と思った貴方、足摺の七不思議は21あると言われているんだ。悔しいだろうが仕方が無いんだ。
土佐清水市のホームページにも※七不思議とは、不思議が七つあるという意味ではなく、多くの不思議があるという意味です。
と記載があるので言葉の意味はよく分からんが、とにかく足摺の七不思議は21あるんだと覚えておけばいいと思います。知らんけど。
さて、当地の看板には以下の様に記されている。
その昔、日の本が乱世の時代のこと、この地には一人のお坊様がいらっしゃった。
乱世を嘆くお坊様はある日、一つの願いを掛けて足摺岬から飛び降りたとも、補陀落渡海に出たともいわれている。
その願いはこうである。
「この乱世を立て直すため、一国一城の主となって生まれ来たらん」
お坊様はこういうと手のひらに南無阿弥陀仏の文字を書いて握りしめ、断崖から飛び降りた(または補陀落渡海に出た)という。
このお坊様を慕う一匹の犬がおり、犬はお坊様が姿を消したあと、その場を一歩も離れず飲まず食わずでその場にとどまりお坊様を待ち続けたという。
そして、遂にはその場で犬は息絶えてしまい哀れに思った近隣の村人たちはその場所に犬塚を建てたのだという。
それから幾百年の時が過ぎた・・・。
この土佐の地を治める殿様の手のひらには黒い生印があった。殿様はこの話を聞いて自分はこのお坊様の生まれ変わりではないか?
と、思うようになったという。その殿様の名は・・・
山
内
忠
義
土佐山内家の二代藩主にして、土佐の大酒豪様であり幕府の破戒者である。
江戸城で酒宴があれば飲み過ぎてゲーしたり二条城で酒を飲めば帰路、駕籠に仁王立ちになって京をの大路を練り歩き、
紀州徳川家屋敷で飲んで鎌髭の男を見れば髭を掴んで離さない悪絡み・・・
太平の世を築くことを願って足摺から飛んだあのお坊様は幾百年の月日を経て、この様に立派な酒らn・・お殿様に生まれ変わって土佐に戻って来たのである。
んなわけねーだろ
と言いたいところであるが、本人がそう言っているのでそういうことなんだろう。ひょっとするとこの話を聞いた際は一杯飲んだ後だったのかもしれない。
もしくは寄付するための口実というかその場のノリとか勢いだったのかもしれない。
(素面の時の)山内忠義公は足摺山金剛福寺を深く信仰し、度々参拝に訪れ本堂・仁王門・十三重の塔など数多くの寄進を行っている。
そしてこの時以降、金剛福寺は山内家と同じ三ツ柏の家紋を頂いているのである。
土佐清水市 足摺の七不思議
https://www.city.tosashimizu.kochi.jp/kanko/g01_7fushiji.html
足摺の七不思議|足摺国際ホテル
https://www.ashizuri.co.jp/sightseeing/nanahusigi.html
44 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/02/22(火) 21:04:59.71 ID:V3AWK7vN
山内忠義公の酒が入った時のお話はこちら
山内忠義と鎌髭のお話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13087.html
山内忠義の酒豪伝説
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13157.html
45 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/02/23(水) 04:57:47.34 ID:fLcecSJp
第38番札所 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺
https://88shikokuhenro.jp/38kongofukuji/
スポンサーサイト
コメント
人間七七四年 | URL | -
まぁ、四天王も四人じゃないしね
それにしても、土佐の逸話なのに長宗我部家じゃなく、山内家への
転生と云う逸話であるので、所謂忖度が働いたのかな?
( 2022年02月23日 19:39 )
人間七七四年 | URL | -
戦国のDQN四天王が5人いるのと同じ感覚でいいんですかね?足摺の七不思議
( 2022年02月23日 19:41 )
人間七七四年 | URL | -
※1
金剛福寺のwikipediaを見ると、
>室町時代には尊海法親王[4]が住職を勤め、幡多荘を支配していた一条家の庇護を受けた。戦国期に一時荒廃
>したが江戸時代に入っても土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。
とあるので長曾我部家には含むところはあれど忖度する謂れはないのかもしれない。
( 2022年02月23日 19:47 )
人間七七四年 | URL | -
ボクは悪い殿様じゃないよ()
( 2022年02月23日 20:19 )
人間七七四年 | URL | -
治世自体は悪くないけど酒癖は…
( 2022年02月23日 20:22 )
人間七七四年 | URL | -
※2殿
あれ?DQN四天王って4人じゃなかった
でしたっけ?
5人目はどなたでしょうか?
( 2022年02月23日 20:56 )
人間七七四年 | URL | -
鬼武蔵、伊達政宗、細川忠興、島津悪久、水野勝成?
( 2022年02月23日 21:01 )
人間七七四年 | URL | -
5人目は福島正則とされる場合も
( 2022年02月23日 21:27 )
人間七七四年 | URL | -
※8
5人目は市松(酔)で合ってます。鬼日向は晩年の名君ぶりが評価されて無事選外。
( 2022年02月24日 01:39 )
※6 | URL | -
※7殿、※8殿、※9殿
ありがとうございます。
ただ、水野さんは本当に※9殿が仰る通り
かと。
福島さんはいいところもあるのに……駄目な
ところがキツイですね。
( 2022年02月24日 12:27 )
人間七七四年 | URL | -
>蹉跎山
足摺岬も元々は蹉跎(さた)岬で、意味が同じ足摺になったそうな
もし蹉跎(さた)岬のままだと、佐田岬(四国最西端)、佐多岬(九州最南端)とよけいにややこしくなるところどった
( 2022年02月24日 12:49 )
人間七七四年 | URL | -
※3殿
あ~なるほどね。そんな経緯がありましたか。
あれ?なら何故土佐一条家には目もくれなかったんだろう?
没落しちゃったからかな?
( 2022年02月24日 16:49 )
人間七七四年 | URL | -
※12
どの規模で荒廃してたのか分かりませんが、江戸時代に再興と言う位だから土佐一条家がいた頃に所縁のある寺僧や土佐全域が長宗我部家の支配下の頃の僧と言った人達は山内忠義が再興した頃には居なかったのかもしれないとも思います。
もしいたにしても、寺を再興してくれようとする新たな藩主を前に旧国主のこと持ち出すのも当然憚られるでしょうし。
( 2022年02月24日 17:49 )
コメントの投稿