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後藤又兵衛が討死と講ずる事は

2022年03月05日 16:09

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/05(土) 13:53:11.96 ID:3+NMX/vT
或る記(難波戦記カ)に、伊予国の人曰く、以前に他国よし来た軍談の旅客があった。
同国道後に於いて浪速乱(大坂の陣)を談じた。当地の村人たちはこぞってこれを聴いた。

彼等は、始めは信じて群参していたのだが、最後の方にかかると「これは虚談である」として、
皆これを信じなかった。これについてかの旅客は「私は全く虚談を述べていない。どういう理由で
そのように言うのか。」と問うた所、村民はこのように言った

後藤又兵衛については、大阪落城後に当所の温泉に来て、傷を治療したのだ。この事を所の別当が怪しみ
問うた所、その切なる事に好感をもったのか、又兵衛は実を以て答えた。別当は聞いて、その功名を崇み、
かつ、又兵衛の活気に懐き、彼を労り親しんだ。

ところが所の者共これを伝え聞き、公聞を恐れ密かに党を結び、不意に後藤を襲った。
又兵衛基次はこれに立ち向かい、奮迅して数人を斬ると雖も、大勢が打ち囲み、既に縄目の辱に合わんとするに
及び、内に駆け入って自害した。

則ちその首を取り、東武(江戸)に献じた所、御沙汰の上仰せ出された事には、『後藤又兵衛については
道明寺に於いて戦死している。然るを再び後藤の首と言って捧げることは紛らわしい。さりながら
真偽を糺すには及ばず。』との趣にて、その功空しくなった。
その後郷民たちは後藤の霊を恐れ、八幡宮の傍らに新たに祠を立て、九月十三日(八幡宮の例祭は八月十五日
である)、五斗の樽祭といって、この小祠を祀る。

であるのだから、後藤又兵衛が道明寺表において討死と講ずる事は虚事である。然ればその外の事についても
きっと虚事を入れているのだろうから、故に信ずるに足らず。」
と答えた。これに旅客は汗顔して口を噤んだという。

新東鑑

後藤又兵衛の生存伝説について



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    自称郷土史家が学者に因縁をつける構図そのものだわ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    オッス、俺後藤又兵衛!とか言って温泉地で結局自害するなら大坂で死んでた方がまだ格好ついたんじゃないですかね。。
    又兵衛らしいおおらかさと言うかずうずうしさと言えばそれまでだが

  3. 人間七七四年 | URL | -

    後藤さんには大坂の陣の面々と共に
    鹿児島に落ち延びたという話もありましたね……

  4. 人間七七四年 | URL | -

    豊前に墓が2カ所あったように思う

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