2/23~3/9のブログ拍手ランキングです!
転生したらお殿様だったでござる の巻 14
矢田作十郎の鯉の兜 11
石宗討死 11
高国の謀 11
二ノ谷は一ノ谷に並び、銕蓋は一ノ谷より上なりという 10
後藤又兵衛が討死と講ずる事は 9
「朝野雑載」より六角義郷の話 8
「朝野雑載」から八丈島の話 8
奥の兵、一偏の東夷たるを以て 7
細川藤孝の出生などについて 7
「大友興廃記」より「馬鬼退治の事 ならびに七不思議」 7
頼朝河田を斬るは天下定まるの時なり 5
今回の1位はこちら!転生したらお殿様だったでござる の巻です!
高徳の(?)僧が、土佐山内家二代藩主・山内忠義に生まれ変わったというお話。
高僧の生まれ変わりと言えば、万海上人の生まれ変わりとされた伊達政宗が有名ですね。この事は政宗の在世時から
言われていたとされますが、この山内忠義の場合も、この中に書かれているように仏教を保護した事を受けての、
一種の神格化なのでしょう。忠義の個性として大酒飲みというものがありますが、そう言った部分は僧の生まれ変わりの
資質として余り問題は無かったようですね。まあ考えてみれば政宗なんかも特に仏僧的な倫理の持ち主ではなかった
わけですがw
大名の神格化の有りようとしても、興味深い内容だと思いました。
今回は2位に3つ!
先ずは矢田作十郎の鯉の兜!
出典である「鳩巣小説」はおおよそ江戸中期ころの成立ですが、その頃の人から見た、戦国時代の武士、或いは
兜についての認識がよく出ているお話ですね。江戸中期の人々も、戦国期のものとされる様々な変わり兜を見て、
「なんでこの時代の人達はこんなのかぶっていたんだろう」という疑問はやはり有ったと思うのですね。そこを
「あえて目立つことで己の潔さを表現した。」と合理的に解釈したわけです。
実際には戦国期でも、派手な前立てを付けた兜というのはあくまで武将・部将クラスまでで、戦闘に参加する者は
基本的には地味で実戦的な兜を着けていたと言われます。この矢田作十郎もどちらかといえば鑓働きをする方だとは
思われますが、江戸中期とも成るとそういう人々にも、武士として「望ましい」ありようが表現されたと見るべきなのでしょう。
そんな事も感じた内容でした。
次はこちら石宗討死です!
大友宗麟の「軍配者」とされる、角隈石宗討ち死にのお話。軍配者らしく、戦の吉凶を占いそれが受け入れられないとき、
逍遥として討ち死にするという、大友家における伝説的な軍配者らしいその最期が描かれていると思います。
死後に討ち取った敵から大明神として祀られるという部分も、軍配者としての宗教性、また悲劇の軍師という感が
よく表されていますね。
ある意味、大友家の衰亡を象徴する、そういった討ち死にであったのかもしれません。そんな事を感じさせてくれた内容でした。
最後にこちら!高国の謀です!
細川高国と言えば一般的に、その政治力、或いは文化性に比べ、軍事については評価が低く、戦下手という印象の強い
人物でもあると思います。実際よく負けていますw
一方このお話では軍勢を3つに分け、心理学的な面も含め巧みに用兵し、ライバルである細川澄元の軍を撃破します。
これを見ると、高国が戦に弱いという印象も、それが強くなったのは後世のことなのかな、なんて思えたりもしますね。
昨今、細川高国については割と再評価が進んでいて、少なくとも政治家としてはかなりの人物だったと認識されるように
なったと思います。或いは軍事についても、再評価が進むこともあるかも知れません。
そんな事を思った内容でした。
先週は私事でいろいろ有りまして、まともに更新もできず楽しみにしていただいている方々には、本当に申し訳有りませんでした。
また、ボチボチではありますが、更新していきたいと思います。
そしてこんな体たらくながら、今週もたくさんの拍手を書く逸話に頂き、ありがとうございました!
また気になった逸話のあったときはどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください!
これからもまたどうぞ、宜しくです!
(/・ω・)/
転生したらお殿様だったでござる の巻 14
矢田作十郎の鯉の兜 11
石宗討死 11
高国の謀 11
二ノ谷は一ノ谷に並び、銕蓋は一ノ谷より上なりという 10
後藤又兵衛が討死と講ずる事は 9
「朝野雑載」より六角義郷の話 8
「朝野雑載」から八丈島の話 8
奥の兵、一偏の東夷たるを以て 7
細川藤孝の出生などについて 7
「大友興廃記」より「馬鬼退治の事 ならびに七不思議」 7
頼朝河田を斬るは天下定まるの時なり 5
今回の1位はこちら!転生したらお殿様だったでござる の巻です!
高徳の(?)僧が、土佐山内家二代藩主・山内忠義に生まれ変わったというお話。
高僧の生まれ変わりと言えば、万海上人の生まれ変わりとされた伊達政宗が有名ですね。この事は政宗の在世時から
言われていたとされますが、この山内忠義の場合も、この中に書かれているように仏教を保護した事を受けての、
一種の神格化なのでしょう。忠義の個性として大酒飲みというものがありますが、そう言った部分は僧の生まれ変わりの
資質として余り問題は無かったようですね。まあ考えてみれば政宗なんかも特に仏僧的な倫理の持ち主ではなかった
わけですがw
大名の神格化の有りようとしても、興味深い内容だと思いました。
今回は2位に3つ!
先ずは矢田作十郎の鯉の兜!
出典である「鳩巣小説」はおおよそ江戸中期ころの成立ですが、その頃の人から見た、戦国時代の武士、或いは
兜についての認識がよく出ているお話ですね。江戸中期の人々も、戦国期のものとされる様々な変わり兜を見て、
「なんでこの時代の人達はこんなのかぶっていたんだろう」という疑問はやはり有ったと思うのですね。そこを
「あえて目立つことで己の潔さを表現した。」と合理的に解釈したわけです。
実際には戦国期でも、派手な前立てを付けた兜というのはあくまで武将・部将クラスまでで、戦闘に参加する者は
基本的には地味で実戦的な兜を着けていたと言われます。この矢田作十郎もどちらかといえば鑓働きをする方だとは
思われますが、江戸中期とも成るとそういう人々にも、武士として「望ましい」ありようが表現されたと見るべきなのでしょう。
そんな事も感じた内容でした。
次はこちら石宗討死です!
大友宗麟の「軍配者」とされる、角隈石宗討ち死にのお話。軍配者らしく、戦の吉凶を占いそれが受け入れられないとき、
逍遥として討ち死にするという、大友家における伝説的な軍配者らしいその最期が描かれていると思います。
死後に討ち取った敵から大明神として祀られるという部分も、軍配者としての宗教性、また悲劇の軍師という感が
よく表されていますね。
ある意味、大友家の衰亡を象徴する、そういった討ち死にであったのかもしれません。そんな事を感じさせてくれた内容でした。
最後にこちら!高国の謀です!
細川高国と言えば一般的に、その政治力、或いは文化性に比べ、軍事については評価が低く、戦下手という印象の強い
人物でもあると思います。実際よく負けていますw
一方このお話では軍勢を3つに分け、心理学的な面も含め巧みに用兵し、ライバルである細川澄元の軍を撃破します。
これを見ると、高国が戦に弱いという印象も、それが強くなったのは後世のことなのかな、なんて思えたりもしますね。
昨今、細川高国については割と再評価が進んでいて、少なくとも政治家としてはかなりの人物だったと認識されるように
なったと思います。或いは軍事についても、再評価が進むこともあるかも知れません。
そんな事を思った内容でした。
先週は私事でいろいろ有りまして、まともに更新もできず楽しみにしていただいている方々には、本当に申し訳有りませんでした。
また、ボチボチではありますが、更新していきたいと思います。
そしてこんな体たらくながら、今週もたくさんの拍手を書く逸話に頂き、ありがとうございました!
また気になった逸話のあったときはどうぞ、そこの拍手ボタンを押してやってください!
これからもまたどうぞ、宜しくです!
(/・ω・)/
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コメント
人間七七四年 | URL | -
管理人様、いつも楽しく見ております。
管理人様がされているサイトなんですから
管理人様の都合でいいのですよ。
無理をなさらないでくださいませね。
( 2022年03月09日 20:22 )
人間七七四年 | URL | -
上に同意です
ご無理はなさらぬよう
そして、いつもありがとうございます
( 2022年03月09日 21:58 )
まとめ管理人 | URL | -
※1※2
温かいお言葉を頂き、心から感謝いたします。
本当に皆様から支えられていると思っています。
出来る範囲ではありますが、がんばります!
( 2022年03月10日 23:20 )
※1 | URL | -
こちらこそ、いつもありがとうございます。
管理人様の無理しない範囲でいいのですから
ご自身のペースでの活動楽しみにしますね。
( 2022年03月11日 00:35 )
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