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かかる太平の世に逢候事ハなりかたき事

2022年03月16日 18:46

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/16(水) 17:41:44.68 ID:wsz562j2
織田信長が(本能寺の変で)弑せられた時、加賀の前田利長は瀬田の橋に着いた辺りでその事が聞こえた。
すると付き従っていた諸卒は悉く逃散して、ただ七人程の他は利長に付き添う者は無かった。
現在でもその七人の子孫が残っているという。

逃散した人々も、何れも譜代の歴々であった。何故逃げたのかと言えば、この頃信長は既に天下を半ば
手に入れられていた以上、今度の上洛では諸国も次々平均して、皆人安楽になるだろうと思って上ったのだが、
そこでこのような事(本能寺の変)が起こったことで、又々天下の大乱となりいつ治まるかも知れず、
「早く国に帰って妻子の行衛をも見ん」為であったと伝え聞く。

私が覚えている話に、若輩の人が、「今は治まった世なので、武を用いるべき様が無い。」と言ったのを、
老武者で、度々武功のあった人物が曰く

「若き人々、何事を宣うのか。私もここかしこにおいて、例えば百人、二百人の内、漸く生き残った
一人二人の中に入った故に世に永らえた。もし明日にも変乱の事があれば、皆々も生き残るという事は
稀である。このような太平の世にめぐり逢ったのは、ありえないほどの事なのだ(かかる太平の世に
逢候事ハなりかたき事)。」と言われたという。

紳書抄

乱世というものについてのお話



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    戦争を知らない子供たちさ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    リアルタイムで経験した人は「どうやって初めての功を立てたか覚えていない」って人が多いですしね
    運良く生き残れた人が経験知を積み重ねたて平和の世界に生きていると、こういう若者の威勢の良さを複雑に眺めていたでしょうね
    現代でもウクライナの映像とか見ると、戦闘行為すらしていないのにポンポン亡くなって行く兵士の多い事。事の善悪を越えて胸が痛くなりますね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    島原の乱から幕末までの間で少なくとも日本が関わった大きな戦争がなかったこと自体が正に「かかる太平の世に逢候事ハなりかたき事」なんだなぁ

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