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タイオワン事件

2022年03月21日 16:24

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/21(月) 12:43:42.87 ID:MfvqIX1x
島原の乱までならスレチじゃないみたいなので
1628年に起きた浜田弥兵衛によるタイオワン事件を「朝野雑載」「可観小説」から(ほぼ同じ話)

長崎代官・末次平蔵という者の手代の大船が、紅毛人(オランダ人)の海賊に五七日(35日)の間居座られれたあげく、石火矢で脅されため船ごと奪われた。
平蔵が困っていると長崎の百姓、浜田弥兵衛と弟・新蔵(「可観小説」では五左衛門)が参り
「われらが台湾国に参って大将たるゼネル(「可観小説」では「せねれる」)を捕らえ、日本船と財宝を取り戻して見せましょう」と言った。
こうして弥兵衛は大船を造り、百姓数十人、農具や商品を積み、台湾に向かった。
台湾国の船が弥兵衛の船を取り囲み、石火矢や鉄砲を向けてきたが、弥兵衛は抵抗せず船の中を見せた。
紅毛人たちは、船中に武器がないとわかると弥兵衛たちを商人だと認め城中に案内した。
城主ゼネルが出てきたので、弥兵衛兄弟は先日の船の返却と犯人の引き渡しを談判したところ、ゼネルはおおいに怒った。
そこで弥兵衛はゼネルを地に打ち伏せ、新蔵が脇差をゼネルの胸に当て人質とした。
周りの紅毛人は一斉に鉄砲を、むけてきたが通詞が「鉄砲を撃つと城主の命がないぞ!」と言うとみな引っ込めた。
ゼネル「その犯人はここにはおりません。もし我がこの城を捨て日本に参れば、この国は乱が起きるでしょう。
我が息子を代わりの人質として日本にお連れください、その犯人も必ず詮索して引き渡します」
と言ったため、ゼネルの愛児を人質として日本に連行した。
(「可観小説」では、せねれるを助け出そうとした紅毛人2、3人を五左衛門たちが斬り、せねれるの子供の他に3人の人質もとり、台湾の金銀も大船に積み込んだとしている)
一年後、来日したゼネルは深く罪を謝し、愛児を受け取り台湾に帰って行った。
これ以降、紅毛人は日本の船を襲わず下知に従うようになり、日本の武名は海外に高まった。
(「可観小説」では、せねれるの子供は一年の間に長崎で病死し、それを知ったせねれるは悲しんだと言う)

ゼネル(せねれる)はオランダ領台湾行政長官ピーテル・ノイツのはずだが、generalのことだろうか?(オランダ語ではヘネラルとなると思うが)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/タイオワン事件
とは前半はともかく、後半の内容がかなり異なる。



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