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流石にその親にその子である。

2022年03月24日 19:05

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/24(木) 17:52:15.63 ID:w8CAMmwt
明智光秀の臣であった熊谷宅右衛門の子・宮内は、後に水戸光圀公に仕えた。
彼は不思議な人物で、能の達人であるという評判を光圀公が聞き召され、度々能を仰せ付けられたのだが、
兎角に病気などと申して、終に勤めなかった。

ある時、江戸にて客の接待が有った時、又々能を仰せ付けらてたのだが、この時は相勤める旨を申し上げた。
しかし光圀公は、当日に至って詐病を言い立てお断りを申すと思し召されていたのであるが、何事もなく
相勤めた。
彼は元より音に聞こえたほどの上手であったので、大いに御感有った。
ところが能が終わって楽屋に入ると直ぐに、病と称し、その後五十日ほど罷り出でなかった。

その後は絶えて能を仰せ付けられることは無かったが、いかなる思召か、やがて足軽を御預けあった。
そして御鷹野などの節はいつも召し連れられた。

ある時、夜詰の折に様々の咄を申した諸に、芸の話になったのだが、宮内はこのように申した

「士は第一に、芸の為に名を奪われないことが大事なのです。これを悪しく心得ると、肩に出来た瘤が
首を押しのけるようなものです。芸ばかりになってその身は無用の人となってしまいます。」

と申すと甚だ御感あり、「流石にその親にその子である。」と仰せになった。
その後御側の衆に「宮内が私の申し付けた能を度々受けない事に、なにか思慮が有るのだろうと
思っていたが、私の所存の通りで満足である。」と仰せになり、宮内は一両年の内に政事にも
預かるようになった。

(紳書抄)

明智光秀の家臣、熊谷宅右衛門の子についての逸話



91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/25(金) 13:24:13.57 ID:h8ZDB8vG
人から達人と思われていても本人が納得してなかったのなら披露できないよね
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    既に能の達人と知られている熊谷宮内なのに
    水戸光圀に能を所望されたけど断り続けた理由が
    芸の為に名を奪われないことって

    人前で芸人(江戸時代では非人)扱いされるのが嫌だったので
    自分は武士ですよとアピールしたのかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ブレイクすると類似の仕事ばかりになって脱却に苦しむ芸能人みたいな

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