04/07~/13のブログ拍手ランキングです!
諸木野弓の事 15
本多飛騨守成重は、作左衛門重次の息である 11
北畠具教の最期 10
これを味方が為したものと思い 10
「具教兵法の事」 8
伊木半七の事 8
北畠具教を討った面々のその後 7
下妻城主多賀谷政経は 3
今週の1位はこちら!諸木野弓の事です!
北畠家の弓の名手のお話。武士を「弓馬の家」と呼ぶように、弓の名手を従えていることは、その家の武威をあらわす
事でも有り、栄誉でもありました。
こちらでは悪口をした織田家の武士を、もたれかかっていた大木ごと射抜くという、信長も感心するほどの強弓を見せつけた
わけですが、このお話自体はおそらく、三国志の太史慈の逸話あたりを下敷きにしたものでしょうね。いかにも軍記的
ではあります。ですがこの後結果的に織田家によって滅ぼされる北畠が、決して武威において織田に劣ったものではなかった
との表現でもあります。また、その武勇を素直に認める、信長の武将としての器量を表わすお話でもありますね。
「勢州軍記」というものの性格も感じさせてくれるお話でもあると思いました。
2位はこちら!本多飛騨守成重は、作左衛門重次の息であるです!
かの有名な本多作左衛門の「日本一短い手紙」、『一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ』のお仙、こと
本多成重についてのお話。父の蟄居に連座したり、越前松平家に行っていたりと、それなりの波乱があるものの、
最終的には越前丸岡で譜代大名となっており、基本的に徳川家の旗本としてエリートコースを歩んでいた感が有ります。
またこのお話とは直接関係はありませんが、成重の妻は、斎藤道三に滅ぼされた美濃土岐家の名跡を継いだ、土岐定政の
娘なんですね。土岐定政は美濃からの亡命後家康に仕え、勇将として非常に評価された人物であったようで、
この定政の転変もなかなか面白いのですが、そういった家と、作左衛門系本多家が繋がるというのも、なかなか面白いと
思います。
「一筆啓上~」が有名なだけに、このお話を知っているとちょっとした時に会話を広げられるかもしれません。
そんな事も思ったお話でした。
今週管理人が気になったお話はこちら!北畠具教の最期です!
「勢州軍記」は基本的に、織田による伊勢支配を肯定しており、また織田に反抗(ということに)して、結果として北畠家を
滅ぼした具教を、暗愚として描きがちである、という部分は認識しておくべきでしょう。
ただその上で、この時の織田家による北畠の粛清はやはり騙し討ちそのもので、「勢州軍記」の描写を見てすら、陰湿さを
感じさせるものでもあります。
北畠具教に限らず、滅びた家の(実質的)当主というものは暗愚、無能と描かれがちです。勿論「滅びた」という結果がある以上、
それは同時代においても事実かどうかは別として、一般的に最も納得できる理由でも有ったと思います。
ただ、後世からの視点として、「本当にそうだったのか」という疑問を忘れずに見る、という姿勢でいたいと思います。
そんな事もふと思わせてくれた内容でした。
今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
諸木野弓の事 15
本多飛騨守成重は、作左衛門重次の息である 11
北畠具教の最期 10
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伊木半七の事 8
北畠具教を討った面々のその後 7
下妻城主多賀谷政経は 3
今週の1位はこちら!諸木野弓の事です!
北畠家の弓の名手のお話。武士を「弓馬の家」と呼ぶように、弓の名手を従えていることは、その家の武威をあらわす
事でも有り、栄誉でもありました。
こちらでは悪口をした織田家の武士を、もたれかかっていた大木ごと射抜くという、信長も感心するほどの強弓を見せつけた
わけですが、このお話自体はおそらく、三国志の太史慈の逸話あたりを下敷きにしたものでしょうね。いかにも軍記的
ではあります。ですがこの後結果的に織田家によって滅ぼされる北畠が、決して武威において織田に劣ったものではなかった
との表現でもあります。また、その武勇を素直に認める、信長の武将としての器量を表わすお話でもありますね。
「勢州軍記」というものの性格も感じさせてくれるお話でもあると思いました。
2位はこちら!本多飛騨守成重は、作左衛門重次の息であるです!
かの有名な本多作左衛門の「日本一短い手紙」、『一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ』のお仙、こと
本多成重についてのお話。父の蟄居に連座したり、越前松平家に行っていたりと、それなりの波乱があるものの、
最終的には越前丸岡で譜代大名となっており、基本的に徳川家の旗本としてエリートコースを歩んでいた感が有ります。
またこのお話とは直接関係はありませんが、成重の妻は、斎藤道三に滅ぼされた美濃土岐家の名跡を継いだ、土岐定政の
娘なんですね。土岐定政は美濃からの亡命後家康に仕え、勇将として非常に評価された人物であったようで、
この定政の転変もなかなか面白いのですが、そういった家と、作左衛門系本多家が繋がるというのも、なかなか面白いと
思います。
「一筆啓上~」が有名なだけに、このお話を知っているとちょっとした時に会話を広げられるかもしれません。
そんな事も思ったお話でした。
今週管理人が気になったお話はこちら!北畠具教の最期です!
「勢州軍記」は基本的に、織田による伊勢支配を肯定しており、また織田に反抗(ということに)して、結果として北畠家を
滅ぼした具教を、暗愚として描きがちである、という部分は認識しておくべきでしょう。
ただその上で、この時の織田家による北畠の粛清はやはり騙し討ちそのもので、「勢州軍記」の描写を見てすら、陰湿さを
感じさせるものでもあります。
北畠具教に限らず、滅びた家の(実質的)当主というものは暗愚、無能と描かれがちです。勿論「滅びた」という結果がある以上、
それは同時代においても事実かどうかは別として、一般的に最も納得できる理由でも有ったと思います。
ただ、後世からの視点として、「本当にそうだったのか」という疑問を忘れずに見る、という姿勢でいたいと思います。
そんな事もふと思わせてくれた内容でした。
今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
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