125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/16(土) 15:32:47.72 ID:zIGJ4adC
或る本に、大阪夏の陣での大阪落城の時、細川玄蕃頭興元が、鑓を合わせたという事を
家康公が聞き召され、仰せになられた
「鑓を合わすという事は、再々に有るような事ではない。
かつて、この茶臼山の北に見える勝曼院の山に、佐久間不干(信栄)、筒井順慶、荒木村重が籠もって、
大阪の門跡が攻めてきた時、鑓を合わせたと聞いた。
その他に上方において、鑓を合わせたという話は聞き及んでいない。」
この時、佐久間備前守(安政)が罷り出て言った
「上意の如くに御座候。その日は、私は同姓不干の手に付き、両度の鑓がありました。
天正六年五月三日の事です。
朝は茶臼山の西に見える、難波の貝塚での合戦において。不干の与力の、佐久間久右衛門、同葵之助、
梶川弥三郎、水野源太夫、永岡小三郎、この六人(本文ママ)が鑓を合わせ、その晩、勝曼院の山において、
不干家中の志水天市、江原弥助、浮貝藤助、長瀬弥五右衛門の四本、鑓を合わせました。
長瀬は、只今は小右衛門と申し、加賀に居ります。」
と、申し上げたという。
(新東鑑)
或る本に、大阪夏の陣での大阪落城の時、細川玄蕃頭興元が、鑓を合わせたという事を
家康公が聞き召され、仰せになられた
「鑓を合わすという事は、再々に有るような事ではない。
かつて、この茶臼山の北に見える勝曼院の山に、佐久間不干(信栄)、筒井順慶、荒木村重が籠もって、
大阪の門跡が攻めてきた時、鑓を合わせたと聞いた。
その他に上方において、鑓を合わせたという話は聞き及んでいない。」
この時、佐久間備前守(安政)が罷り出て言った
「上意の如くに御座候。その日は、私は同姓不干の手に付き、両度の鑓がありました。
天正六年五月三日の事です。
朝は茶臼山の西に見える、難波の貝塚での合戦において。不干の与力の、佐久間久右衛門、同葵之助、
梶川弥三郎、水野源太夫、永岡小三郎、この六人(本文ママ)が鑓を合わせ、その晩、勝曼院の山において、
不干家中の志水天市、江原弥助、浮貝藤助、長瀬弥五右衛門の四本、鑓を合わせました。
長瀬は、只今は小右衛門と申し、加賀に居ります。」
と、申し上げたという。
(新東鑑)
スポンサーサイト
コメント
人間七七四年 | URL | -
六本槍(五人)
( 2022年04月17日 09:11 )
人間七七四年 | URL | -
鑓合わせって雑兵物語の代名詞のように(というか独り歩きして)ネット上で語られているけど
それが再々に有るような事ではないってのは意外だね。
長柄足軽は後方にあって本陣の護衛を務めるのが仕事で
鉄砲隊が射撃しつつ徒士武者が機を見て突撃し
乱戦に持ち込んだという話もあるけどそっちが一般的なのかな。
( 2022年04月17日 11:57 )
人間七七四年 | URL | -
朝鮮出兵の際、明側が日本兵は陣を組まずに指揮官もろとも突っ込んでくるという記述をしてたと記憶してるが、実際に戦国時代に統率の取れた大軍勢同士の戦いってのは希だったのかもな
( 2022年04月17日 15:17 )
人間七七四年 | URL | -
権現様の合戦解説能力がもう、テリーマンレベルだと思う。
『そう言えば聞いたことがある。』
( 2022年04月17日 18:09 )
人間七七四年 | URL | -
信長「なんじゃ」
蘭丸「そういう」
信玄「ことでは」
昌信「ないのか」
( 2022年04月19日 12:14 )
人間七七四年 | URL | -
※5
そういうのは「兜合わせ」っていうんだ(無駄知識)
( 2022年04月20日 21:00 )
コメントの投稿