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後醍院喜兵衛の話

2022年05月03日 16:00

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/05/03(火) 09:46:10.21 ID:rJTBUjzh
「薩藩旧伝集」「薩州旧伝集」より関ヶ原の島津退き口で活躍した後醍院喜兵衛(後醍院宗重)の話

・江戸で火事があった時、薩摩の衆も大勢火消しのために働いた。
みなが火事の風下にまわって作業しているのを見た後醍院喜兵衛は
「おのおの、そこは風下である。風の脇で火を消されよ」と言うと
みなは「弱気なことを言うやつめ、さあ火消し壺になれ、焼け死ね、焼け死ね!」と言いながら消した。
消火がおわり、誰も怪我したものはなかったが
喜兵衛が言うことには「あんな火事で一命を捨てさせてはならぬと思ってああ申したが、逆効果であった。
もっと言葉に気をつけるべきであった」

ある時、喜兵衛が下人に慮外があったため長刀で斬り殺した。
ある人が「下人を殺すのに長道具など使うとは大袈裟な、刀を使えばいいものを」
と言ったところ、
喜兵衛「刀を使って万一怪我をしてはなりませんから長道具を使いました。
戦場ではさすがに下人を相手に長道具や飛び道具などは用いませんよ」と言った。

ある時、家に立て籠っている者がいて、喜兵衛に捕縛が命じられた。
喜兵衛主従はみな具足を着用し押し入って捕縛した。
人々「鎧など着るとは臆病者だ」と非難したが
喜兵衛「このような立て篭もり程度で、万一し損じて怪我をしてはいけませんからな」と答えた。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    うーんこの薩人マシーン

  2. 人間七七四年 | URL | -

    むしろ薩摩武士の割に慎重居士すぎると思うのは俺だけか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    この人は元々は他家にいた人だから島津隼人とはちと毛色が違う

  4. 人間七七四年 | URL | -

    前に出ていた薩摩藩の「本藩人物誌」だと何度も殿軍で活躍
    命を無駄にしない、という性にあってたのだろうか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    現代の現場ネコ達の中にも、こういう思慮深い上役が居るおかげで生き長らえてる奴は少なくないはず…

  6. 人間七七四年 | URL | -

    現代の後醍院さんは30人くらいで、千葉東京、山口と兵庫にいるらしい
    薩摩藩から移転したんかな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    「五大院」という表記もあるようだ
    本郷和人によれば「五大院」氏は代々得宗家に仕えていたが、鎌倉時代後期にしか名前が出てこないとか

  8. 人間七七四年 | URL | -

    後醍院氏は建武新政の南朝方、
    五代院氏は鎌倉幕府の北条得宗家の縁戚、

    訓読みは同じだが、さすがに同時代(鎌倉末期から建武新政期)の政治スタンスが
    違いすぎるので別氏族でないのかな

  9. 人間七七四年 | URL | -

    五大院氏(二位局、常葉前)を母に持つ得宗家の北条時行自身が後醍醐天皇に降参しているから、そこは問題ではない気が

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    兵庫のはこの後醍院の子孫だと思われ

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