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後醍院宗重、関ヶ原にて

2022年05月05日 18:30

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/05/04(水) 21:24:12.40 ID:/7YhvoxA
薩藩旧伝集」から
後醍院宗重、関ヶ原にて

・惟新様(島津義弘)は、関ヶ原合戦で味方が敗軍いたしたため御戦死を決意なされた。
しかしいろいろ諌め申し上げて、落ち延びることになった。
しかしどの方角に落ち延びたら良かろうとなった時、後醍院喜兵衛宗重が申し上げたことには
「おっつけ、内府公(家康)は陣場を移動されるでしょうから、その陣頭を突っ切って伊勢路へ落ち延びるべきかと思います」
その言葉にたがわず、内府公は陣場を大谷刑部殿の陣場に移動し始めたので、その陣頭を突っ切って、伊勢路へ落ち延びることができたということだ。

・惟新公が関ヶ原から落ち延びる時、城中の敵にむかって後醍院喜兵衛は
「島津兵庫頭(義弘)、ただいままかり通る!」と声高に申し上げた。
惟新様をはじめみなが「そのようなことを申すな!」と言ったところ
喜兵衛「このようにいえば、皆必死になるので強みが増すでしょう」と答えたということだ。
これについては後醍院ではなく薬丸壱岐(兼成)が言ったという説もある。
それによれば薬丸壱岐殿は伊賀上野の敵城下にて「兵庫頭ただいままかり通る!」と声高に申したため、
「壱岐は厄介者だから後からついてこい」と言われてしまい、列から追い出され、後からついていくことになったという。
上野城ならば敵も少し出てきて戦ったことだろう。

後半は似た話が前に出ていた
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4775.html
1600年、伊賀山中にて



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    先日の逸話で臆病なほど慎重な人かと思ったけど、やっぱりその場その場で的確な判断ができる百戦錬磨の人だったんだ…

    …不勉強だから信長の野望や大河ドラマの有名どころしか知らなかったけど、ちょっとこの人に興味わきました。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    やっぱ怖いっすね、薩人マシーンは


    しかし、後醍院と薬丸で扱いが180℃違うのは笑わざるを得ないんだ。悔しいだろうが仕方がないんだ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    元相良家臣と元肝付家臣で島津家中の扱いが違った…ということではなく単に本人の日頃の行いの問題かな
    >後醍院と薬丸

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