511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/14(火) 16:47:35.44 ID:e2XuRu8B
「続片聾記」から松平忠直配流後の話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13455.html
「続片聾記」から「忠直公御乱行の事」
で忠直の乱行の原因となった愛妾・一国について
元和九年(1623年)三月二十九日、忠直が越前から配流された同日、
忠直公の愛妾・一国女を何者かが駕籠の内で殺し、金子を添えて一乗寺の門前に捨て置いたという。
こうして同寺に葬られたと言われるが、大きな石の祠があり、毎年大奥の方から弔いがあるという。
法名は理性院真如観月大姉。
一乗寺の一国塚(上記の石の祠か)には蛇がいつも満ちているという。
また乱行の手先となった小山田多聞の屋敷は奇怪なことが多いため住む人もなく、寺となっている。
寺の庭の沼には石臼などがあるそうだ。石の人切りまな板も蔵の近くに埋めてあると聞く。
なお忠直公は豊後国・萩に配流となったが、ある人が近年豊後に下り、忠直公の御廟所を拝した。
海端に御石塔の辺瑞籠を結び、里人は神として崇め奉っていたそうだ。
里人は「(将軍家につながる方でありながら)なぜ御代参もないのだろう?」と申していたそうだ。
「続片聾記」から松平忠直配流後の話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13455.html
「続片聾記」から「忠直公御乱行の事」
で忠直の乱行の原因となった愛妾・一国について
元和九年(1623年)三月二十九日、忠直が越前から配流された同日、
忠直公の愛妾・一国女を何者かが駕籠の内で殺し、金子を添えて一乗寺の門前に捨て置いたという。
こうして同寺に葬られたと言われるが、大きな石の祠があり、毎年大奥の方から弔いがあるという。
法名は理性院真如観月大姉。
一乗寺の一国塚(上記の石の祠か)には蛇がいつも満ちているという。
また乱行の手先となった小山田多聞の屋敷は奇怪なことが多いため住む人もなく、寺となっている。
寺の庭の沼には石臼などがあるそうだ。石の人切りまな板も蔵の近くに埋めてあると聞く。
なお忠直公は豊後国・萩に配流となったが、ある人が近年豊後に下り、忠直公の御廟所を拝した。
海端に御石塔の辺瑞籠を結び、里人は神として崇め奉っていたそうだ。
里人は「(将軍家につながる方でありながら)なぜ御代参もないのだろう?」と申していたそうだ。
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