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伊東諸武夢想の事

2022年07月05日 17:50

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/07/04(月) 20:00:07.99 ID:BcLs7wOf
大友興廃記」から伊東諸武夢想の事
伊東三位入道(伊東義祐)は島津に破れ豊後に亡命し、田原紹忍の世話となっていた。
ある荒れ寺が気に入ったため、そこで気儘で風流な生活を楽しんでいたところ、何者かが
「のみしらみ、ねずみとなりて三位殿、たはらの下をはひまはりけり」と高札に書いて門前に立て置いた。
田原紹忍は歌道に明るかったため
三位入道は「さてはこれは田原の作ではないか?」と悔しく思い、中国地方を遍歴し、最終的に京において還行された。
息子の左京大夫(伊東義益)もすでに亡くなっていたため、伊東家滅亡と思われた。
しかし左京大夫の弟・民部大夫諸武(伊東祐兵)は聖人の行いに倣い、武勇があり、諸芸の風流の人であった。
家が絶えることを哀しみ、神仏をたのんでいた甲斐があり、秀吉公の援助で年月を送っていた。
ある夜の夢想に
「日に増して、しめとる帯のいとふとき」
とあったところで目が醒めた。
「帯(飫肥おび)」とは累代の本知であり、「日に増していとふとき」とは再び繁栄するという吉兆だと喜び、連歌興行をした。
ほどなく太閤秀吉公に召し出され、本領の内で知行安堵となったことこそ不思議である。



281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/07/04(月) 22:02:10.36 ID:lty1qK8d
考えたら「祐」の草書体を「諸」と取り違えたのかもしれない
祐兵(スケタケ)→祐武(スケタケ)→諸武ということだろう

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/07/04(月) 22:16:07.61 ID:hXjZB30E
しめす偏と言偏の崩し字はまったく別物だし、右と者もまあ似てるっちゃ似てるけど取り違えないでしょう
どっちも頻出の文字だし
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