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證據の龍

2022年07月06日 18:43

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/07/05(火) 19:43:13.55 ID:ubBmdJR7
絵師の狩野山楽光頼は元・木村氏にて、豊臣秀吉公に仕えていたが、画に巧みである故に
狩野永徳の養子分に仰せ付けられ、それより氏を狩野とした。

大阪陣の時、狩野山楽は大阪城に残ったが、その息子である木村右京は味方の鉄砲に当たって死んだ。
然るに、大阪落城の砌、山楽は逃げ出て八幡の瀧本坊に忍び居た所を搦め捕られ、既に誅殺されるべき
所に、九条殿並びに本願寺東台院殿より、「彼は絵師であり武辺のことには拘わらぬ者である。」
との仰せられ、助命の儀をお頼みあった。

そこで「絵師と相違無いとの證據があるか。」とお尋ねの所、先達て秀吉公が、洛東東福寺の法堂を
造営された際に、天井に僧の明兆が筆した幡龍破画の残片があったのを、狩野永徳に補画(修復)
させた所、永徳はその功を遂げずに卒した。よってその跡を山楽が描いた。
これを申し立てて、命を免れた。

現在に至っても、かの画を『證據の龍』と呼んでいるという。

山楽は現在の縫殿助の先祖である。

(新東鑑)



285 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/07/05(火) 23:11:42.48 ID:u5LZH6cj
狩野派絵師のほとんどが徳川将軍家御用の奥絵師として江戸在住だったのに対し、山楽の系統は京都在住で京狩野と呼ばれる
山楽の後継者の山雪とその子孫は代々縫殿助を称している
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    読めないって思ってググるさんに聞いたら「証拠」なのか…
    転生して過去に行っても文字が読めなくて詰むな

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