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「大友興廃記」から「佐伯惟治魔法の事 并・栂牟礼城攻」

2022年07月25日 17:36

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/07/25(月) 17:21:07.54 ID:Z+mqbH+B
大友興廃記」から「佐伯惟治魔法の事 并・栂牟礼城攻」

大友義鑑公幕下の臣、佐伯惟治は豊後国祖母嶽大明神より二十一代の孫で家名が高かった。
また文武両道相備え、諸芸の風流人であり、豊後海辺郡佐伯栂牟礼の城主であった。
惟治は幼少の子息で御曹司と呼ばれている千代鶴に継がせ、府内に出仕させ、自分は在府も出仕もしないようになった。
あるとき惟治は山上寺の住持春好を師匠にして魔法を行う契約をなした。
こうして上半月は清浄潔斎の身となり魔法に専念したところ神変奇特があった。
身によりそう影が生じ、打てば響き、呼べば答え、あらゆることが思い通りとなった。
累代相伝の家老は何度も諌めたが、いっそう魔法に力を入れた。
また先祖の祖母嶽大明神を佐伯迫田に勧請し、金銀を散りばめた荘厳巍々たる神殿を造営した。
またその他さまざまな宮が荒れていたのを建立、再興した。
あるとき惟治は魔法の師匠の春好が穢れをなしたとして猪の肉を食らうよう命じた。
春好は「髪を剃り僧衣を着て以来潔癖の身であるのに破戒などしたらこれまでの修行も無意味になります」
と抵抗したが、惟治が刀を喉に当てて脅したため、仕方なく鹿の肉を食したところ吐血してしまった。
そののち惟治は春好を生害した。なおその討ち手はほどなく大病で死んだという。
またあるとき惟治は家臣に「あの白鷺を捕らえよ」と命じた。
家臣「弓矢もないのにどうして捕らえましょうや」
惟治「弓で射るのではない、抱き抱えて捕らえるのだ」
家臣はしかたなく白鷺に近づいたが白鷺は動くことなくそのまま捕らえられた。
それを見た家臣たちは「延喜の御代に醍醐天皇の命で鷺が捕らえられたため五位を授けられた話はあるが、このたびは魔法によるものである。
当家の行く末はいかばかりであろう」と嘆いた。

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/07/25(月) 17:23:12.83 ID:Z+mqbH+B
このあと大友義鑑に滅ぼされる話が続くが長いのでここまで。
この前、戎光祥選書ソレイユから出た稙田誠「寺社焼き討ち」には「栂牟礼実録」出典で同じ話があるのでたぶんそちらが元だろう。
その本にも書かれているが、この佐伯惟治の先祖とされる祖母嶽大明神は蛇で、
平家物語巻八「緒環(おだまき)」では緒方惟義の先祖が豊後の女と大蛇との間に生まれた大男の五代孫となっている。
(三輪山の神と倭迹迹日百襲姫命の伝説そっくり)
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13594.html
大友興廃記」より「遣唐使の事」
こちらの稙田玄佐(植田玄佐)も蛇の子孫で紋も佐伯惟治と同じ巴紋なのに、美濃斎藤氏だったり蛇が雌だったりしてるのは伝承の過程でオスがメスにでもなったのだろうか。



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