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私ほどの者が磔にかかる時

2022年08月08日 18:40

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/08/07(日) 21:43:22.51 ID:SY5vKsav
豊臣秀吉公が小田原進発の時に、伊達陸奥守政宗(この時は左京大夫と称す)は参陣無かった事で、
秀吉公は甚だ怒り給われたのを、政宗聞いて小田原陣に至り、中村一氏に付いて

「それがしは関白殿の御門下に、必ず馬を繋ぐべき筋目はない。これによって日頃より、日和を見ていた所、
北条が滅びた後に、奥州へ御発向されるという風聞を承った。
然るに於いては、必定防戦は危ういと存じたため、日を継いで馳せ参った、
昔、源頼朝卿が千葉広常の遅参を咎められたような御気色が有るのは迷惑である!」

そのように言った所、秀吉公は御笑いあって
「政宗はありの儘なる者なり。」と、その罪を免ぜられた。

然るにその年の冬、奥州九戸に一揆が起こり、政宗もその味方をしているとの聞こえがあったため、
秀吉公は政宗を悪まれ、急ぎ上洛すべしとの仰せがあった。
政宗はこれを承ると、「私ほどの者が磔にかかる時、並々のものでは口惜しい。」
と、金銀にて装飾した磔柱を真っ先に持たせて上京した。

この頃秀吉公は伏見の城地を見て居られたのだが、政宗の上洛をお聞きになって、「ここへ来るように」
と仰せられた。このため伏見に参向すると、御側に招かれ、その日使われていた御杖(或いは扇子)にて、
政宗の首を押さえて

「その方が上洛しなかった場合は、かように申し付けようと思っていた所、速やかに馳上がった上は
これを免ずるなり。」と仰せになった。

政宗は畏まって、御前を退出したという。

新東鑑



328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/08/08(月) 02:29:08.03 ID:cS6asV3w
おぉ
金の磔柱の話は北条征伐の時の事と思ってたけど違う時の話だったのね
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    しくじりだらけなのにそれを挽回する駆け引きは本当に上手だよね政宗
    政宗は何をやったら秀吉や家康をもう許さねぇからな状態にできるんだろう。。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >金の磔柱の話は北条征伐の時の事と思ってたけど

    いや、政宗の一般的な話では、金箔の磔柱の逸話がでるのは葛西大崎一揆の嫌疑のとき(蒲生氏郷の訴追のとき、嫌疑を晴らすのに花押の雀の目に針の孔の逸話)やないかな。
    「九戸に一揆」って九戸政実の乱のことだろうけど、南部家内部の騒乱で政宗には嫌疑かかってない。

    >御側に招かれ、その日使われていた御杖(或いは扇子)にて、政宗の首を押さえて

    これが普通だと、小田原参陣のときの政宗・秀吉初対面の逸話やろ。
    大河の「独眼竜政宗」でもベテラン勝新と 新人渡辺謙が事前打ち合わせも顔合わせもなく
    ガチでやったってシーンじゃないか。

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