333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/08/13(土) 13:59:41.39 ID:CU8pX0Nu
慶長十九年、大阪御謀反にて御手切となり、片桐市正(且元)はその所領である茨木に立て籠もったが、
これを大阪の軍勢が打ち潰すとの風説が頻りであった。
その頃、肥後守(戸川達安)は駿府より御暇を賜り、在所へ帰る途中、京都に立ち寄り所司代の
板倉伊賀守(勝重)の許へ参向した所、伊賀守はこのように語った。
「片桐市正が茨木に在るのですが、大阪よりこれを攻めるようです。そこで只今、片桐への
加勢を専ら催しているところです。」
これを聞いた肥後守は取るものも取り敢えず
「私は通常の旅行故に一層人数も少ないのですが、ここから直に加勢に行きましょう。」
伊賀守は大いに感心して「流石は肥州殿、あなたが御援助を加えれば、茨木も潤色となるでしょう。」と
申したため、その場より直に肥後守は茨木へ向かった。そして片桐市正と対面し、これこれを経緯を
述べると、市正は大いに力を得て、城内の成大寺という場所に肥後守を置いた、
肥後守が宿陣し四,五日滞留する所に、大阪方では茨木攻めについて異論が出、その上肥後守が
加勢に来た事なども聞いて、茨木攻めは容易ならずとの評定があり、この事は中止とされ、この表は
無事となった。これ故にひとまず肥後守も在所へ帰った。
(戸川記)
戸川達安と大阪冬の陣における茨木攻めについて
慶長十九年、大阪御謀反にて御手切となり、片桐市正(且元)はその所領である茨木に立て籠もったが、
これを大阪の軍勢が打ち潰すとの風説が頻りであった。
その頃、肥後守(戸川達安)は駿府より御暇を賜り、在所へ帰る途中、京都に立ち寄り所司代の
板倉伊賀守(勝重)の許へ参向した所、伊賀守はこのように語った。
「片桐市正が茨木に在るのですが、大阪よりこれを攻めるようです。そこで只今、片桐への
加勢を専ら催しているところです。」
これを聞いた肥後守は取るものも取り敢えず
「私は通常の旅行故に一層人数も少ないのですが、ここから直に加勢に行きましょう。」
伊賀守は大いに感心して「流石は肥州殿、あなたが御援助を加えれば、茨木も潤色となるでしょう。」と
申したため、その場より直に肥後守は茨木へ向かった。そして片桐市正と対面し、これこれを経緯を
述べると、市正は大いに力を得て、城内の成大寺という場所に肥後守を置いた、
肥後守が宿陣し四,五日滞留する所に、大阪方では茨木攻めについて異論が出、その上肥後守が
加勢に来た事なども聞いて、茨木攻めは容易ならずとの評定があり、この事は中止とされ、この表は
無事となった。これ故にひとまず肥後守も在所へ帰った。
(戸川記)
戸川達安と大阪冬の陣における茨木攻めについて
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コメント
人間七七四年 | URL | -
「本日の茨木攻めは中止となります、ご容赦下さい」と油断させておいて城から出て来た戸川達安を
大阪方が待ち伏せて討つ可能性は考えなかったのか
( 2022年08月13日 19:46 )
人間七七四年 | URL | -
すごいな、人数が少なくとも名声があれば威力や抑止力になる
( 2022年08月13日 22:21 )
人間七七四年 | URL | -
茨木城って平城で攻め易そうな印象を受けるけど、相手側視点で考えたら
・攻める攻めないの評定が長引いてる内に戸川達安が来たりして、攻める機を失った。
・茨木城を落として片桐勢を追いやっても、周辺を拠点として確保する意味や大坂城と連携して幕府軍への対処するのに地の利が無い戦略上の理由で攻撃を止めた。
とかそう言う理由もあったのだろうか?結果として豊臣勢は大坂城に籠城することになったし。
( 2022年08月13日 22:49 )
人間七七四年 | URL | -
戸川家の家伝だから達安が上げられるのは当然だけど、そもそも関東勢は籠城すれば後続の援軍が望めるわけで、大坂方は乾坤一擲に攻め取らない限り骨折り損になるばかりで意味ないもんな
( 2022年08月14日 04:42 )
人間七七四年 | URL | 4lXsiBFM
@1
茨木城攻めなら元豊臣家臣の片桐への制裁という名目があるけど、その片桐を攻撃できずに
片桐を支援したとはいえ戦ったわけでもない徳川家臣で少人数の戸川達安を襲うというのは、
みっともないだけでほとんどプラスにならないぞ。
( 2022年08月14日 17:04 [Edit] )
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