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壮士の死戦すべき所はここぞ

2022年08月14日 16:34

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/08/14(日) 13:44:08.53 ID:pKpwmqpE
尾州長久手の戦に、成瀬隼人正(正成)は十七歳であったが、敵軍に乗り込み兜首を取り、
家康公の御覧に入れると
「汝は勇士なり。旗本の兵寡し。先ずこれを守れ。」
と仰せになったため、御馬の先にあって息を継いでいた。

ところが先手が敵軍に辟易しているのを見て、駆け出そうとしたが、馬取が轡を取って
「既に功名を遂げられました、然るを敵の中に入り命を亡くすのは何の益があるでしょうか!」
と言った。
これを聞いた正成は大いに怒り馬取を罵ったが手を放さなかったため、刀を抜いて峰打ちし、

「小利を貪り大義を失うのが武士の道か!?今日の戦は、敵破れ陣を陥れ、逃げる所を追い詰めた後に
止むものだ。名も知れぬ首一つに身を顧みる事など出来ない!」

しかし鞭打っても罵っても、馬取は猶も放さなかった。

この時家康公は三十間ばかり隔てた場所でこれをご覧になっていたが、

「味方が足を貯め兼ねている。壮士の死戦すべき所はここぞ!ただその志に任せよ!」

と仰せになると、馬取この時轡を放った。
成瀬は真一文字に乗り入れ、また兜首を獲って、東西を馳廻り、味方を恥ずかしめた

「君が間近で進退剛怯を御覧になっているのに、きたなくも逃げ走り、一体何の面目があって
後人にまみえるのか!?」

正成のこの言葉に励まされて、引き色だった者も踏みとどまり、進む者はいよいよ勇んだ。

こうして、その年の暮、成瀬正成には根来衆五十人が預けられた。
家康公は、「成瀬の長久手の働きは、軍功の士にも劣らない」と、感じ仰せになられた。
徳川家において十七歳にして将となったのは、正成一人ばかりであるという。

新東鑑



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    敵陣に斬り込んで首獲って来た若武者に
    あえて根来衆を付けるという事は
    もう敵陣に突っ込むなと言いたいのだろうか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    むしろもっと手柄をあげろという激励でしょうな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    3年前の書き込みとほぼほぼ内容一緒やないか…

    ていうか、かれこれ5回目くらい書かれてるぞこの逸話

    tp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-11794.html?sp

  4. 人間七七四年 | URL | -

    暴走を止め家康の指示を待った馬取が一番の手柄だと思うんだが?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    徳川の懐古趣味的な?武士倫理の強調ってどこまで意図的なんだろう。
    東海道に生きている以上ある程度は流通とかそういった商業活動への肌感覚の理解ってあると思うし、甲斐の人間から見ればめっちゃ華やかな甲冑を纏うくらいには豊かな世界の住人なのに、なんか鎌倉時代を連想させるんだよな、こういった逸話って。

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