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天文の飢饉

2022年08月25日 18:23

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/08/25(木) 17:45:17.86 ID:Yw+Dje9+
天文九年(1540)、この春、世上では大飢饉があり、数千万もの難民が出た。
餓死者はその数を知れず、上京下京の間には、毎日六十人ばかりの死人が捨てられていたという。
誓願寺では非人施行(難民への支援)が春の間中行われた。

また、天下には大疫病が流行り。都鄙において死亡した者は幾千万とも知れなかった。ここ七百余年以来の
比類なき事態であった。春夏秋の間、諸人はこの疫病に患い、高野山や比叡山の輩も発病したもの
数多であったという。

(寺院関係者では)上醍醐に於いては二、三人が発病したとか。淡路は五ケ庄で、疫病で山上において死去、
角坊も疫病で散々となり、東寺観智院、同正覚院も発病し死去した。大変な事である。

二上大炊介もこれにて病死し、天徳西堂も同じく病死、四辻大納言も病死した。

嚴助往年記

天文の飢饉とそれに伴う疫病の流行について



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この頃は世界的に猛烈な温暖化が起きていた時代で
    欧州各地では最高気温が40℃を超え
    ほぼ一年雨が降らないなど大旱魃が発生していたという。
    日本など東アジアは逆に大雨が頻発し大規模な洪水による疫病の発生と
    木々が流された土砂の上に大草原が生まれ
    トノサマバッタの大発生する条件が整った為に蝗害が発生したという。

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