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静御前の薙刀

2022年09月08日 19:13

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/09/08(木) 17:56:38.17 ID:9uwm008Y
豊後佐伯氏について書かれた「栂牟礼実録」「剣の巻」から「静御前の薙刀」についての話

源義経は京都堀川から緒方惟栄とともに鎮西に下った時に緒方惟栄に長刀(薙刀)を下賜した。
文治元年(1185年)に土佐坊昌俊が源義経を堀川の御所で夜討ちした時、静御前がこの薙刀をふるい敵を退けたといわれるもので、小屏風と名付けられていた。
穢れのある者がこれに触れると、身がすくむことがたびたびあった。
佐伯惟定の息子、佐伯惟重の時、元和八年(1622年)夏、少し錆び付いてきたため甚三郎という者が三日の精進の後に錆を落とした。
甚三郎は三日目に死んでしまった。
人々は薙刀のためだと言い合ったという。

なぜ弁慶ではなく静御前なのだろう



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >穢れのある者がこれに触れると、身がすくむことがたびたびあった。


    何処のユニコーンだよ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >なぜ弁慶ではなく静御前なのだろう

    そりゃ大概の人は大男のおっさん坊主より美女の方がいいでしょw

    弁慶だってその辺わかってるからVtuber天狗ゲタ子やってたわけだし
    (そりゃ「義経のスマホ」ネタだw)

  3. 人間七七四年 | URL | -

    弁慶の方は講談の逸話が紐づいて、他と被らない「観光地」が随所にあるけど、
    静御前の方は、「終焉の地」「生誕の地」がどこかわからん程度に重複していて
    弁慶と異なって「静御前の子孫」を名乗る氏族が関東他あちこちに居るんだよね

    「仏法を修めて武術にも長けた弁慶の子孫」と名乗る後裔はおらず(そもそも妻帯せず(?)の僧兵だは?)、
    「芸能を主とした白拍子として舞いに長けた静御前の子孫」と名乗りたい後裔は多かった、ってのは
    日本の氏姓階級社会の何らかの反映のような気がするけど。素人なんでよくわからないです。

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