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佐伯氏伝来の刀剣についての話

2022年09月13日 19:03

365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/09/12(月) 19:20:04.66 ID:cZgjre5a
豊後佐伯氏についての伝承をまとめた「栂牟礼実録」「剣の巻」からそのほかの佐伯氏伝来の刀剣についての話

・手鉾太刀
祖母嶽大明神(蛇神)の嫡子・大神惟基より相伝された。
その昔、承和七年(840年)に惟基が参内したおり、刀を枕元に置いて昼寝をした。
それを見た雅楽之介という公家が「九州の戎とはいえ、刀は名物かも知れぬ」と抜こうとしたが抜けなかった。
そこで雅楽之介はそこを離れ、「惟基の太刀は作り物だろう。銅でも中に詰め込んでるに違いない」
と言いふらし、竹の中に鉄をこめて綿で包んで禁中の庭に立てて
「惟基よ、庭に落ちたものがある。勅定により斬ってみよ」と恥をかかせるために命じた。
惟基が一刀のもとに斬り落としたため、あての外れた公家連中は逆恨みし惟基を流罪にしようとした。
しかしその日禁中で火事が起き、惟基が太刀を使って大扉をこじ開け消火したため、惟基は豊後守に任じられた。
このため手鉾太刀は不抜の太刀とも号している。

・神息太刀
宇佐八幡大神宮が打ったとされる太刀で、寿永二年(1183年)平家追討の功により源義経から緒方惟栄に下賜された。
佐伯惟定の息子・佐伯惟重が伊勢に住んでいた元和九年(1623年)に京に研ぎに送ったところ、息女が急病で危篤となった。
これは神息太刀を京に送ったためであろうと、追いかけさせ大津の駅で取り返し佐伯家に戻したところ、門に入るやいなや息女は快気した。
そのため家を守る太刀であろうといわれている。

・巴作りの太刀
祖母嶽大明神が大神惟基の母に譲り渡した太刀と言われている。
寛永三年(1626年)十月十日、佐伯惟重の主君である伊勢津藩藩主・藤堂高次は惟重に藤堂家の屋敷まで太刀を持参させた。
高次は直接触るのは畏れ多いというので、柄を杉原紙で包んで抜こうとしたが抜けなかった。
代わりに惟重が太刀を抜いて高次に渡そうとすると、いきなり座の板敷が崩れて座中の五、六人が卒倒した。
そのため藤堂高次は太刀を手に取るのはやめ、太刀を祝うために盃を回してみなで歓談した。

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/09/12(月) 21:16:46.49 ID:cZgjre5a
神息太刀、巴作りの太刀は佐伯惟重関連の逸話なので問題ないと思います
手鉾太刀については逸話自体は平安時代であるものの、佐伯家の重宝ということで入れました
今までも武将の道具について並べた話はいくつか出ていますし、特に問題にはなってないかと
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13414.html
二ノ谷は一ノ谷に並び、銕蓋は一ノ谷より上なりという




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