593 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/09/25(日) 09:34:51.20 ID:bQiBHZfx
信長の「南蛮甲冑」について
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1163.html
南蛮胴(西洋式鎧)は過去ログのこれのように、織田信長所用と伝わるものが現存するものの、後世に伝来が
作り上げられたものと考えられています。
史料上はあくまでも、1590年に帰国した天正遣欧少年使節団が持ち帰り、翌年秀吉に献上された目録上のものが
最古となりますので、信長は持ってなかっただろうというのが正直なところですね。
信長が上杉謙信に洛中洛外図屏風などと贈った西洋マントが上杉神社に現存しますが、同時に贈られた甲冑が
金小札色々威胴丸という華美だが若干古風で品の良いデザインのものです。
また最上義光には筋兜と実戦的な桶側胴を贈ったとされます。兜は最上義光歴史館に現存し有名ですけれども
この兜も古風な体裁だったものを実戦用に改造したのではないかという考察があります。
贈答品には相手があることですから、自分の趣味全開で贈ったりはしないでしょうけれども、珍奇なマントと一緒に
贈った甲冑が当時でも趣味の良いものだったというのは、信長の好みの一端が見えてこないでしょうか。
1570年代には存在したといわれている、九州中心に使用された桃型兜は、西洋のモリオン兜に似ているので
それまでに渡来したものがデザインの元となった説が有力ですが、これも確証はありません。
信長の時代までに西洋鎧が到着してそれを入手した可能性はありえますが、証拠は全くないというのが正しいようです。
実際に舶来品を愛用した証拠も遺品も豊富な徳川家康が、その点を来年大河でクローズアップされたりはするのでしょうか?
信長のビジュアルイメージに関しては、大河ドラマ「黄金の日日」(1978年)の信長は月代頭に日本甲冑、
黒澤明の「影武者」(1980年)での信長が総髪髷に南蛮胴、大河ドラマ「徳川家康」(1983年)の信長は総髪髷に
(西洋鎧に影響受けたデザイン説がある)仏胴。
影武者がネタ元と思われますが、どの段階から広まったものか。
594 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/09/25(日) 09:37:13.66 ID:bQiBHZfx
なお東京国立博物館所蔵の伝明智光春所用の和製南蛮胴は実際には17世紀のもの、榊原康政所用の南蛮胴は舶来品改造のものと
長らく言われてきましたが、榊原のものの胴が和製と判明したために、その影響なのか明智の和製胴も館公式では安土桃山時代となってしまいました。
面倒ですよね、あったという証拠は全くないが、なかった証拠だってないでしょと言われたり。
595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/09/25(日) 10:44:57.96 ID:Zo+L+aNk
その時歴史が動いた、で
家康はリーフデ号に積んでいた南蛮胴を持っていた
→家康は関ヶ原に南蛮胴を持ってきていた?
→家康はその南蛮胴を関ヶ原で着ていた?
→家康は南蛮胴を着たまま銃弾飛び交う戦場にいた?
(南蛮胴は銃弾に強いため)
→小早川秀秋は松尾山からこれを見て家康の勇姿に感動した?
→小早川秀秋が西軍を裏切ったのは南蛮胴のため?
→関ヶ原の戦いの帰趨を決めたのは南蛮胴?
とかやってたから家康の大河でもやりかねない
596 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/09/25(日) 12:23:09.51 ID:ZWe67ssy
大砲撃たれて爆風で飛ぶまでかワンセットにさらにプラスがあるのか
597 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/09/25(日) 20:24:41.44 ID:lGuhc/xt
そんな番組本当にあったのかよと思ったら本当だった
2000年10月4日放送 関ヶ原合戦 家康 なぞの大突撃 ~ヨーロッパ製甲冑の威力~
信長の「南蛮甲冑」について
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1163.html
南蛮胴(西洋式鎧)は過去ログのこれのように、織田信長所用と伝わるものが現存するものの、後世に伝来が
作り上げられたものと考えられています。
史料上はあくまでも、1590年に帰国した天正遣欧少年使節団が持ち帰り、翌年秀吉に献上された目録上のものが
最古となりますので、信長は持ってなかっただろうというのが正直なところですね。
信長が上杉謙信に洛中洛外図屏風などと贈った西洋マントが上杉神社に現存しますが、同時に贈られた甲冑が
金小札色々威胴丸という華美だが若干古風で品の良いデザインのものです。
また最上義光には筋兜と実戦的な桶側胴を贈ったとされます。兜は最上義光歴史館に現存し有名ですけれども
この兜も古風な体裁だったものを実戦用に改造したのではないかという考察があります。
贈答品には相手があることですから、自分の趣味全開で贈ったりはしないでしょうけれども、珍奇なマントと一緒に
贈った甲冑が当時でも趣味の良いものだったというのは、信長の好みの一端が見えてこないでしょうか。
1570年代には存在したといわれている、九州中心に使用された桃型兜は、西洋のモリオン兜に似ているので
それまでに渡来したものがデザインの元となった説が有力ですが、これも確証はありません。
信長の時代までに西洋鎧が到着してそれを入手した可能性はありえますが、証拠は全くないというのが正しいようです。
実際に舶来品を愛用した証拠も遺品も豊富な徳川家康が、その点を来年大河でクローズアップされたりはするのでしょうか?
信長のビジュアルイメージに関しては、大河ドラマ「黄金の日日」(1978年)の信長は月代頭に日本甲冑、
黒澤明の「影武者」(1980年)での信長が総髪髷に南蛮胴、大河ドラマ「徳川家康」(1983年)の信長は総髪髷に
(西洋鎧に影響受けたデザイン説がある)仏胴。
影武者がネタ元と思われますが、どの段階から広まったものか。
594 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/09/25(日) 09:37:13.66 ID:bQiBHZfx
なお東京国立博物館所蔵の伝明智光春所用の和製南蛮胴は実際には17世紀のもの、榊原康政所用の南蛮胴は舶来品改造のものと
長らく言われてきましたが、榊原のものの胴が和製と判明したために、その影響なのか明智の和製胴も館公式では安土桃山時代となってしまいました。
面倒ですよね、あったという証拠は全くないが、なかった証拠だってないでしょと言われたり。
595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/09/25(日) 10:44:57.96 ID:Zo+L+aNk
その時歴史が動いた、で
家康はリーフデ号に積んでいた南蛮胴を持っていた
→家康は関ヶ原に南蛮胴を持ってきていた?
→家康はその南蛮胴を関ヶ原で着ていた?
→家康は南蛮胴を着たまま銃弾飛び交う戦場にいた?
(南蛮胴は銃弾に強いため)
→小早川秀秋は松尾山からこれを見て家康の勇姿に感動した?
→小早川秀秋が西軍を裏切ったのは南蛮胴のため?
→関ヶ原の戦いの帰趨を決めたのは南蛮胴?
とかやってたから家康の大河でもやりかねない
596 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/09/25(日) 12:23:09.51 ID:ZWe67ssy
大砲撃たれて爆風で飛ぶまでかワンセットにさらにプラスがあるのか
597 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/09/25(日) 20:24:41.44 ID:lGuhc/xt
そんな番組本当にあったのかよと思ったら本当だった
2000年10月4日放送 関ヶ原合戦 家康 なぞの大突撃 ~ヨーロッパ製甲冑の威力~
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コメント
人間七七四年 | URL | -
>>595
これ見てから『その時歴史が動いた』を見るのを止めた
こんなあほな説紹介する番組作るんかNHKは って呆れた
まだ5回も放送していなかったんじゃないかな
歴史ヒストリアとか一回も見ていないわ
( 2022年09月25日 19:46 )
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