467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/10/30(日) 15:26:26.72 ID:dLte+MCx
尾州の織田弾正忠(信秀)が死して、その子息、今の信長であるが、彼は今川義元公の旗下とならず、
挙げ句義元公がお持ちの国であった三河の内、吉良の城へ取り掛け、附城を造ってこれを攻めた。
この事態に義元公は御馬を出されたが、跡を気遣い遠州引馬に逗留され、先衆を以て弾正忠子息(織田信広)の
拵えたる砦を包囲し、既に攻め殺さんとする所に、織田は降参して父の如く義元公へ逆義あるまじきと
起請を書き詫び言したため、義元公と弾正忠子息の和睦が成立したのであるが、これは尾州侍である
笠寺の新右衛門(戸部政直)がかねてより義元公を大切に存じており、この折に仲介した御蔭だという。
またこの時義元公は
「三州岡崎の城主・松平広忠の子、竹千代当年十三歳になるを、一両年以前より盗み取り、熱田に
隠し置くという。それも早々にこちらへ渡せ」
と仰せになり、義元公はこの松平竹千代を駿府に召し置かれた。今の遠州浜松まで平定して浜松に在る
徳川家康が、この竹千代である。
『甲陽軍鑑』
いわゆる第二次小豆坂の戦いについてのお話。この時点では織田信秀はまだ生きているのと、
どうも信長と織田信広を混同していたフシがありますね。
尾州の織田弾正忠(信秀)が死して、その子息、今の信長であるが、彼は今川義元公の旗下とならず、
挙げ句義元公がお持ちの国であった三河の内、吉良の城へ取り掛け、附城を造ってこれを攻めた。
この事態に義元公は御馬を出されたが、跡を気遣い遠州引馬に逗留され、先衆を以て弾正忠子息(織田信広)の
拵えたる砦を包囲し、既に攻め殺さんとする所に、織田は降参して父の如く義元公へ逆義あるまじきと
起請を書き詫び言したため、義元公と弾正忠子息の和睦が成立したのであるが、これは尾州侍である
笠寺の新右衛門(戸部政直)がかねてより義元公を大切に存じており、この折に仲介した御蔭だという。
またこの時義元公は
「三州岡崎の城主・松平広忠の子、竹千代当年十三歳になるを、一両年以前より盗み取り、熱田に
隠し置くという。それも早々にこちらへ渡せ」
と仰せになり、義元公はこの松平竹千代を駿府に召し置かれた。今の遠州浜松まで平定して浜松に在る
徳川家康が、この竹千代である。
『甲陽軍鑑』
いわゆる第二次小豆坂の戦いについてのお話。この時点では織田信秀はまだ生きているのと、
どうも信長と織田信広を混同していたフシがありますね。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
もしかして織田信広の名前がこのサイトで出てきたの初めて?
( 2022年10月31日 20:00 )
名無し | URL | -
信長が子供の頃から頑張ってるのに扱いが悪いよね。母親が正室じゃないってそんな重要?
( 2022年11月01日 12:53 )
人間七七四年 | URL | -
正室が、というより、妻実家と夫家との間の政治力差・軍事外交関係で嫡子って選ばれるんじゃないのかな。信広の血縁はそのどれも期待できなかったのでは。
信長母は近江六角氏由縁(という説)だから、この場合は尾張ー近江の美濃を挟んだ遠交近攻?
成長した信長の戦史では「六角氏血縁だから友好関係」とか頭の隅にもなさそうだけど
( 2022年11月01日 15:19 )
人間七七四年 | URL | -
信広と家康の人質交換がこういう話になってるのか
( 2022年11月01日 23:14 )
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