518 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/12/27(火) 23:01:39.62 ID:xZUKIk8a
上杉謙信が関東攻めを行い、平井城を奪還した時のこと。
謙信は山内上杉家の家臣たちに使者を送り、こう伝えさせた。
「山内公(上杉憲政)は私を子とし、関東管領職を譲られた。それによって私も父のために平井城を取り返した。そなたたちも山内公に仕えていたのだから、そのまま私に仕えなさい」
長野業政は笑いながら言った。
「越後公(謙信)の功労は最も多い。後日そちらに赴いてお祝い申し上げよう。だが、家臣になることはできない」
使者がその内容を伝えると謙信は怒り、兵を以って攻めようとした。
すると、すでに謙信に降ってそばにいた太田資正がこう言った。
「業政は頑固な老翁で、常にこのような感じです。しかし、心は善良でわざわざ憎むべき者でもないです。明日必ずこちらに挨拶に来るでしょう。もし来なければ私が攻めて蹂躙します」
次の日、業政が平井城へ向かおうとしたところ、老臣たちはこれを諫めた。
業政は「死ぬのであれば謙信も道連れだ。憂うことはないぞ」と言い、そのまま平井城へ赴き、謙信に謁見した。
謙信は「そなたが昨日私の使者に向かって家臣になることはできないと言ったのは本当か」と聞いた。
すると業政はこう答えた。
「その通りです。父が子に家督を譲る際は、まず老臣に諮り、その後に天子あるいは将軍に告げてその許しを得るものです。ましてや管領職のようなものは室町将軍が任ずるものであり、父が私に譲るものでもなく、子も私から受け取ることはできません。しかし、山内家再興のためとあれば私はあなたの指揮に従い、先鋒を務めましょう」
それを聞いた謙信は笑いながら言った。
「資正の言うとおり、そなたは固陋の頑夫(わからずやでかたくなな男)であるな」
その後は宴会となり、宴会が終わった後に業政は箕輪へ帰り、謙信も軍を越後に還した。
長野記より
519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/28(水) 12:51:57.96 ID:6Yi16Vhc
>>518
なにいってんだこいつ
上杉謙信が関東攻めを行い、平井城を奪還した時のこと。
謙信は山内上杉家の家臣たちに使者を送り、こう伝えさせた。
「山内公(上杉憲政)は私を子とし、関東管領職を譲られた。それによって私も父のために平井城を取り返した。そなたたちも山内公に仕えていたのだから、そのまま私に仕えなさい」
長野業政は笑いながら言った。
「越後公(謙信)の功労は最も多い。後日そちらに赴いてお祝い申し上げよう。だが、家臣になることはできない」
使者がその内容を伝えると謙信は怒り、兵を以って攻めようとした。
すると、すでに謙信に降ってそばにいた太田資正がこう言った。
「業政は頑固な老翁で、常にこのような感じです。しかし、心は善良でわざわざ憎むべき者でもないです。明日必ずこちらに挨拶に来るでしょう。もし来なければ私が攻めて蹂躙します」
次の日、業政が平井城へ向かおうとしたところ、老臣たちはこれを諫めた。
業政は「死ぬのであれば謙信も道連れだ。憂うことはないぞ」と言い、そのまま平井城へ赴き、謙信に謁見した。
謙信は「そなたが昨日私の使者に向かって家臣になることはできないと言ったのは本当か」と聞いた。
すると業政はこう答えた。
「その通りです。父が子に家督を譲る際は、まず老臣に諮り、その後に天子あるいは将軍に告げてその許しを得るものです。ましてや管領職のようなものは室町将軍が任ずるものであり、父が私に譲るものでもなく、子も私から受け取ることはできません。しかし、山内家再興のためとあれば私はあなたの指揮に従い、先鋒を務めましょう」
それを聞いた謙信は笑いながら言った。
「資正の言うとおり、そなたは固陋の頑夫(わからずやでかたくなな男)であるな」
その後は宴会となり、宴会が終わった後に業政は箕輪へ帰り、謙信も軍を越後に還した。
長野記より
519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/28(水) 12:51:57.96 ID:6Yi16Vhc
>>518
なにいってんだこいつ
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コメント
人間七七四年 | URL | -
「長野さん、常識人じゃん」、と思った我は室町ものを読みすぎたのであろうか
( 2022年12月29日 08:22 )
人間七七四年 | URL | -
はいはい臣従して、舐められたらアカンからかな?
( 2022年12月30日 19:12 )
人間七七四年 | URL | -
まあ、隣国の領主が
「主筋の養子になったからお前ら皆俺に従うんや」
って言われてもなぁ
突然、勤め先の後輩または同僚が上司の養子になったから俺お前らの上司〜
なんて言い出したらまず反感しか、買わないでしょうよ。
( 2022年12月30日 20:10 )
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