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「真田七本槍」(第二次上田合戦の上田七本槍)

2023年01月23日 19:34

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/01/22(日) 21:45:38.06 ID:vbYgp9gn
>>571の続き
武家閑談」から「真田七本槍」(第二次上田合戦の上田七本槍)

また後の真田陣(第二次上田合戦)は慶長五年(1600)年九月六日であった。
台徳院秀忠公が御発向し、真田昌幸をお攻めになられた時、城の北の門は根津長衛門が受け持っていた。
御旗本の浅見藤兵衛が一人で夜に堀の深さを測っていたところ、城中から鉄砲玉が雨のごとく降り注いで撃たれた。
朱の十二引の指物もずたずたになり、浅見は地に伏せた。
そんな所に御味方の小栗治右衛門もつづいてやってくると、城門から真田の甲兵二十余が門を開いて浅見・小栗両人に鉄砲を打ちつけ、鉄砲煙がはれたところで槍を突き立ててきた。
浅見の小者の虎若が刀を抜き槍下をくぐって二人の元に行ったところ、小栗は胸三箇所を撃たれて討ち死にしていた。
浅見も胸を撃たれて地に伏していたのを、虎若は浅見の両足をとって引き出した。
浅見は「兄の小栗を退けよ」と命じたが、虎若は腹を立てて「主人を捨てて他人を退ける者がおりましょうか」と背負って退却した。
虎若から指物について問われた浅見は
「槍合わせの時に落とされたと見えるが、取り戻すわけにもいくまいな」と言うと
虎若は「退却時に落としたのであれば武官の落ち度となりましょうが、槍合わせの時に落としたのであれば問題はないでしょう」と引き下がった。

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/01/22(日) 21:48:58.23 ID:vbYgp9gn
城方は手始めに相手方の二人を殺し、負傷させた、ということで真田兵の山本清右衛門と依田兵部がただ二人で追い打ちをかけにきた。
両人が二町ばかり離れた堤の上に立って偵察したところ、台徳公(徳川秀忠)の御旗本の武者、二、三十騎が騎馬の鼻を並べてやってきた。
山本・依田を見た旗本衆は、「今、槍を持ってこっちに来る真田方の斎藤左大夫とその弟子二人だ、逃すな」とかかっていった。
なかでも小野次郎右衛門(小野忠明)、辻太郎助(辻久吉)がひと足先に駆け寄ってきたため、斎藤左大夫は城に逃げ帰った。
小野と辻はそこで堤際へ行き、依田・山本を相手にすることにした。
こうして堤の上と下でそれぞれ槍を突き合わせた。
そこへ朝倉藤十郎(朝倉宣正)、中山助六(中山照守)、戸田半平(戸田光正)、鎮目一左衛門(鎮目惟明)、太田甚四郎、斎藤久右衛門(斎藤信吉)が続いて槍を合わせた。
(太田甚四郎以外の五人と小野・辻が上田七本槍)
こうして依田兵部は朱具足で奮戦したが倒れ伏した。
小野と辻が依田の首を取ろうとしたところ、山本清右衛門が二人を打ち払い、依田を肩に担いで城中に引き返した。
入れ違いに城中から駆け出してきた真田兵三十余人に対し、太田甚四郎は鉄砲を脇より撃ちかけた。
さすがの真田もひるんだところを、中山・朝倉・小野・辻・鎮目・戸田・斎藤が槍を持って追撃しようとしたため、真田はことごとく城に引き返した。
そこで本多正信は城を攻めても寄せ手の被害が生じるだけだと下知した。
(このあとは第二次上田合戦についての記述)



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