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「武家閑談」より大坂夏の陣の時の徳川秀忠の様子

2023年02月21日 19:09

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/02/20(月) 20:17:28.56 ID:XEaRtdGo
武家閑談」より大坂夏の陣の時の徳川秀忠の様子

大坂の陣での五月七日の合戦前に秀忠公は味方の軍勢を巡見なさった。
黒田長政加藤嘉明については独立した部隊ではなく本多忠純(本多正信の三男)の部隊に属していた。
七日の昼前、大軍が備えているところに誰からともなく「将軍様御成」と言い出したため、長政と嘉明はお目見えのために通路へ出た。
秀忠公は一騎で黒い鎧、山鳥の尾の羽織兜をめされ、桜野という七寸三分の馬に孔雀の尾の鐙をかけて召されていた。
武具は十文字の長刀、そのほか徒歩の士二十人ほどがお供していた。
黒田長政加藤嘉明をご覧になり両人の方へ乗りかけられたため、両人は馬の左右の口についた。
秀忠公は「敵を打ちもらし城へ引かれたのは残念だ」とおっしゃったが
両人が「そのうち敵はまた人数を出すので、冥利にお叶いになるでしょう。思いのままの御一戦となりましょう」
と言うとご機嫌もよくなった。
長政・嘉明に「もう戻ってよいぞ」とおっしゃられたため、両人は備えに戻った。
途中、本多正信が具足も兜もつけず、団扇で蝿を払いながら乗物に乗って通った。
黒田長政が「将軍様はいつもと違い軽い様子だな」と申すと
加藤嘉明は「いかにもいかにも、このように軽いのは御家の癖だろう」と答えた。
長政は深く感心し「秀忠公は常々御行儀正しいが、軍法においては万事軽く行うということか」
と賞賛したという。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    軽い様子なら早々に関ケ原に到着してもいいんじゃが

  2. 人間七七四年 | URL | -

    関ケ原は大雨や川の増水で家康からの進軍命令自体が遅れて届いてるんだから
    秀忠側がどうであれ間に合うわけがない

  3. 人間七七四年 | URL | -

    「山鳥の尾の羽織兜」でふとググったら、「老将座談」で大坂の陣の出立で
    紀伊様(頼宜)の兜の天辺に「山鳥の尾のたて物」って記述があるそうな

    装飾が被ったのか?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    兜の天辺に「山鳥の尾のたて物」って関ヶ原の三歳様の装い、肥後だと許可無く使用出来ない意匠ですよね?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    前に出てきた「二ノ谷は一ノ谷に並び、銕蓋は一ノ谷より上なりという」の逸話に

    >是より先、関ヶ原御陣の時、御先手より細川忠興ただ一騎御旗本へ参られけるが、山鳥の尾の冑に、銀の天衝の差物なり。是を遠見するに、さながら舞鶴の如し。
    >家康公御覧なされ「忠興武具のこのみ勝れて見事なり。なかんずく冑と立物の取合よし」と仰られしが、其後銀の天衝の差物は家康公御所望なされ、秀忠公へ進ぜられしとなり。

    とあるので、忠興から家康に、家康から秀忠に渡ったもののようですね。
    ある意味で七将の生き残り四人のうち、福島正則以外が関わった話のような

  6. 人間七七四年 | URL | -

    夏の陣、ビミョーな立場で参戦してた三歳様の勝負兜を秀忠がかぶってたんですね...。
    なんか家康⇔秀忠の葛藤が垣間見えるような...。

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