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ちょっと都市伝説風味の話

2023年03月20日 19:53

726 名前:人間七七四年[] 投稿日:2023/03/19(日) 18:45:51.31 ID:3oOcadZo
いい話かは微妙だが、秀頼つながりで。秀頼が薩摩に逃げ延びたという話が譚海にあったので。ちょっと都市伝説風味の話。

阿波の南の海から薩摩へはほど近く、船でたやすく一日で往復できる。それゆえ昔は阿波の漁師が釣りをしながら薩摩まで行き、そこで休息して阿波に帰るといったことが時々あり、自然と知り合いもできて、船を寄せて煙草の火をもらったりもするようになった。その船をよせる場所は薩摩の南海の浜辺で、岸の上には厳重な番所のようなものがあった。とはいえ、海のすぐそばで番人も一人か二人、人のいない寥々たるところで、何を守っているかも定かではない。そんなところだから、阿波の漁師たちも気楽に世間話をしにたびたび集まって番人たちと仲良くなった。

 ある漁師が船を寄せた時のこと。番人は一人もおらず、しばらく待っても誰も来ないので、火をもらいに岸に上がり、番所の中へ入った。すると、いつも閉めている番所の後ろの扉が今日は開いている。何だろうと思って何の気なしに入ってみると、綺麗に掃除が行き届いていて人っ子一人いない。びくびくしながら奥に進むと、大きな石の五輪塔が二、三基ある。不思議に思いながらさらに進むと、最奥に美々しく作った五輪塔が一基あって、神廟か何かのようにしてあった。ほかには何もないので船に戻って待っていると、いつもの番人が薪を背負って山から帰ってきたので、船から上がって雑談をした。
ふと、「この奥にあるお墓のようなものは何ですか」と尋ねると、番人大いに驚いて「あなた方、あれを見られたのか。あれは非常な秘事なので、決して口外しないでください。今日はあそこの掃除をした後、山へ木を刈りに行ったので、つい鍵をかけ忘れてしまった。とにかく、決して口外なさいますな」と何度も念を押した。漁師たちもさては豊臣秀頼のお墓をはじめ、真田左衛門尉、そのほかの人々の墓なのであろうと心づいた。こののちは、番人たちも心掛けて漁師と親しくせず、決して他国の船が岸に寄せるのを許さぬようになったということだ。



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    その場所、今も残ってたりして

  2. 人間七七四年 | URL | -

    なんで「 ■▽▽▽東北・北海道▽▽▽■」?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    阿波の南から薩摩ってそんなに近いかな?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    面白い話ですね。

    「花のようなる秀頼様(身長2m)を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退いたり鹿児島へ」
    のは有名ですが、天下に勇を示した幸村(信繁)はともかく、
    豊臣家の者を島津が保護する理由ってあるんですかね。
    秀吉の伊集院氏への離間工作とか、恨みしかないような気が…。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    米4さん

    常識的に推論すれば、全国的に反徳川の戦がぶちあがったときに
    「正義なく徳川が君主筋の子孫を滅ぼした名家の主が実は生きてた」ってのは
    旗頭に使えますし、その横に座っていれば戦後の政権で幅を利かせられるという目論見では

    問題は「全国的に反徳川の戦がぶちあがったとき」が二百数十年後も経った後だっただけで
    豊臣の威光なんぞ消えていたこと

  6. 人間七七四年 | URL | -

    海流の関係で土佐の漁師が太平洋眺めながら『この海の向こうは豊後』って言ってたという話を聞いた覚えがあります。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    海流の関係だったら土佐の漁師が流されるさきはハワイでは(言ってみただけ

  8. 人間七七四年 | URL | -

    グーグルマップで、しばらく大隅半島東部を眺めてしまった・・・
    あり得ないとは言い切れない場所ですね

  9. 人間七七四年 | URL | -

    うまいこと黒潮の反流に乗ったらありえなくはないのかな?

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