03/15~/21のブログ拍手ランキングです!
ちょっと都市伝説風味の話 12
「続武家閑談」から本多正信について 10
利根にて利発にて、しかも利口なる人 10
「続武家閑談」から那須家について、その3 8
「続武家閑談」から那須家について、その1 8
「武徳編年集成」から飯尾豊前妻の奮戦 8
「続武家閑談」から那須家について、その2 7
「浜松御在城記」から飯尾連龍とその妻 6
浜松の凧揚げを始めたという佐橋甚五郎について 5
津村正恭の譚海より、戦国時代の連歌 5
今週の1位はこちら!ちょっと都市伝説風味の話です!
豊臣秀頼の薩摩への逃亡伝説というのは、様々に逸話が有ったりするのですが、こちらは、おそらく秘密裏に埋葬された
その墓を目撃してしまった漁師のお話。
しかしこのお話、どこかで似た雰囲気のものを読んだ覚えがあるなと考えてみたら、UFOやエイリアンとの遭遇譚に
大変似ているという感想を持ってしまいましたwミステリアスさを強調した読み物は古今東西似た形になるのでしょうか。
この薩摩での秀頼譚、基本的には関ケ原の後、宇喜多秀家を始めとした西軍残党が薩摩まで逃亡し、そのまま
薩摩で没した人も少なくなかったのでしょう。そういう人たちについていつの間にか彼らが、秀頼とその一党だった、
という伝承に変化していったのでしょうね。
色々な楽しみ方のできる、そんな逸話でも有ると思いました。
2位はこちら!「続武家閑談」から本多正信についてです!
内容的には、正信の有名な逸話を詰め込んだ、という感じでは有るのですが、最初に正信を『不剛不柔不飾』と評して
いるのが面白いですね。「硬すぎず柔らかすぎず、自身を飾り立てない」という所でしょうか。「謀臣」としてある意味
理想的な性格であるとも受け取れますね。
ただし、実は本多正信が家康の「謀臣」であったのか、という所は実は同時代的には根拠がなく、勿論重臣であったことは
間違いないのですが、実際には事務方として家康の信頼を得ていたのではないか、とも考えられています。
彼が「謀臣」となったのは、正信系の本多家が正純の時に、政争の結果として失脚、没落したことで、一種のレッテルが
貼り付けられ、それが歴史的に定着したものと考えられます。そういったレッテルだったはずのものが、時代を経るにつれ
プラスイメージと解釈されていったというのは、織田信長などもそうですが、それもまた歴史の不思議でもあります。
そんなことも感じたお話でもありました。
今週は同票でもう一つ!利根にて利発にて、しかも利口なる人です!
利根も利発も利口も、ここでは一言で言えば「有能」という事なのでしょうが、それをわざわざ細分化している事が先ず
面白いですし、その3つが揃っている人物というのが、レアではあれども、少なくとも武田家中にはわりといる、という所も
面白いですねwそして、中でも武田信繁はやはり別格であった、という印象を持たれていたことも、このお話から見て取れます。
このお話自体は同時代、近時代における武田家内部における人物の評価を顕したもの、と言えるでしょう。
逆に、ここで評価されている人々を調べる事によって、当時の武田家でどういった人材が求められていたのかという、
その体質を見て取ることも出来るでしょう。
そういう意味でも興味深い内容だと感じました。
今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
ちょっと都市伝説風味の話 12
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利根にて利発にて、しかも利口なる人 10
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「武徳編年集成」から飯尾豊前妻の奮戦 8
「続武家閑談」から那須家について、その2 7
「浜松御在城記」から飯尾連龍とその妻 6
浜松の凧揚げを始めたという佐橋甚五郎について 5
津村正恭の譚海より、戦国時代の連歌 5
今週の1位はこちら!ちょっと都市伝説風味の話です!
豊臣秀頼の薩摩への逃亡伝説というのは、様々に逸話が有ったりするのですが、こちらは、おそらく秘密裏に埋葬された
その墓を目撃してしまった漁師のお話。
しかしこのお話、どこかで似た雰囲気のものを読んだ覚えがあるなと考えてみたら、UFOやエイリアンとの遭遇譚に
大変似ているという感想を持ってしまいましたwミステリアスさを強調した読み物は古今東西似た形になるのでしょうか。
この薩摩での秀頼譚、基本的には関ケ原の後、宇喜多秀家を始めとした西軍残党が薩摩まで逃亡し、そのまま
薩摩で没した人も少なくなかったのでしょう。そういう人たちについていつの間にか彼らが、秀頼とその一党だった、
という伝承に変化していったのでしょうね。
色々な楽しみ方のできる、そんな逸話でも有ると思いました。
2位はこちら!「続武家閑談」から本多正信についてです!
内容的には、正信の有名な逸話を詰め込んだ、という感じでは有るのですが、最初に正信を『不剛不柔不飾』と評して
いるのが面白いですね。「硬すぎず柔らかすぎず、自身を飾り立てない」という所でしょうか。「謀臣」としてある意味
理想的な性格であるとも受け取れますね。
ただし、実は本多正信が家康の「謀臣」であったのか、という所は実は同時代的には根拠がなく、勿論重臣であったことは
間違いないのですが、実際には事務方として家康の信頼を得ていたのではないか、とも考えられています。
彼が「謀臣」となったのは、正信系の本多家が正純の時に、政争の結果として失脚、没落したことで、一種のレッテルが
貼り付けられ、それが歴史的に定着したものと考えられます。そういったレッテルだったはずのものが、時代を経るにつれ
プラスイメージと解釈されていったというのは、織田信長などもそうですが、それもまた歴史の不思議でもあります。
そんなことも感じたお話でもありました。
今週は同票でもう一つ!利根にて利発にて、しかも利口なる人です!
利根も利発も利口も、ここでは一言で言えば「有能」という事なのでしょうが、それをわざわざ細分化している事が先ず
面白いですし、その3つが揃っている人物というのが、レアではあれども、少なくとも武田家中にはわりといる、という所も
面白いですねwそして、中でも武田信繁はやはり別格であった、という印象を持たれていたことも、このお話から見て取れます。
このお話自体は同時代、近時代における武田家内部における人物の評価を顕したもの、と言えるでしょう。
逆に、ここで評価されている人々を調べる事によって、当時の武田家でどういった人材が求められていたのかという、
その体質を見て取ることも出来るでしょう。
そういう意味でも興味深い内容だと感じました。
今週もたくさんの拍手を、各逸話に頂きました。いつも本当にありがとうございます!
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