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彼はためし物の上手であったので

2023年03月29日 19:21

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/29(水) 18:59:41.95 ID:0AUyz2EU
甲州武田の普代衆、隨分の(立派な)侍である今福浄閑という人物が在ったが、彼は若い頃より
ためし物(試し斬り)を能く斬る人で、しかも上手であった。据物を斬ってその頸が落ちる瞬間、
脇差しを以て傷口を貫いて、下に落とさぬよう落下の途中で上に上げるほどの手練であった。

彼はためし物の上手であったので武田家の侍衆は大身・小身共にそれを浄閑に頼んだ。
そのようであったので、年齢が四十六、七歳の頃までには、千人に及ぶほど斬ったと評された。
しかし実際には百人から二百人ほどであっただろう。

この人はどういうわけか、自身の能き子供が幾人も病死した。しかし今福浄閑は禅の参学などして
心も出来た人であったので、下劣な批判には取り合わず、子供が死ぬのも所詮因果に過ぎないとして、
すこしも取り合わなかった。

ある時、信州岩村田の法興和尚が甲州に御座あったが、今福浄閑はこの和尚に見廻(見舞)に参った。
この折、法興和尚は今福入道への教化として言った
「その方は良い齢であるのに、ためしもので罪を作るのは勿体ない。」

今福入道は
「私が斬るのはどこぞの囚人であり、その科が斬り参らすのです。」と言われた。

知識(和尚)は「それは先ず尤もである。」としばらく間を置き、法興和尚は仰せに成った
「今福入道、このいろりへ炭を入れてくれないだろうか。」
「畏まって候」と炭を持って炉辺へ寄った所、和尚は宣われた
「大きな炭を火箸にてはいかがであろうか。定めて、さすが武田の幕下歴々の今福入道であれば、
指を以て炭を入れてくれないだろうか。」

今福浄閑はまた、物の興のある人物で諸芸に達し、既に能などする時も、古保庄太夫などの能楽の者が
立ち会っていても、結句今福の方が優れているほどであった。そういった人であったので、この時も
炭をいかにも面白く入れられた。

さて、立ち退く時、浄閑は手を拭った。このとき和尚は宣わった「今福入道はどうして手を拭うのか。」
「今持った炭のために汚れたのです。」
「この炭を焼いた炭焼の手も、定めて汚れていたのであろうな。」

今福入道は申した「炭焼はこれを製造して出すのですから当然ですが、今はその炭を取った私の手が
汚れたのです。」

「さてこそ、先刻その方がためし物について、相手に科があると言ったが、それを究めて頸斬る今福浄閑にも、
(炭を取った手が汚れたように)その罪がまとわりつくのだ。」

このような法興和尚のすすめにて、今福入道はその後、ためし物を斬らなくなったという。

甲陽軍鑑



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ためし者、様者とも書くんですね。

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