771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/05/26(金) 18:27:01.89 ID:sRKV6zV6
「続武家閑談」から「太田・長野両家の事」の長野家のとこだけ
在原業平朝臣が伊勢の斎宮(恬子内親王)と密通して(「伊勢物語」第六十九段「狩の使」)もうけた子供が丹波守の高階茂範の家を継ぎ、高階師尚といった。
その後裔である長野業正は上州箕輪城に居住し、千五百騎を指揮する身上であり、太田資正入道三楽とともに上杉家無類の忠臣であったが、おのおの大功を立てられず、鬱々として病死してしまった。
長野業正が在原業平の子孫とされたのは有名だけど、業平の東下りでできた子供の子孫のはずだから高階氏とは関係ないはず。
高階氏と在原業平との話は、来年の大河で藤原定子(高階貴子の娘)の息子で藤原彰子に養育された敦康親王が春宮になれない理由で出てくるかも。
「続武家閑談」から「太田・長野両家の事」の長野家のとこだけ
在原業平朝臣が伊勢の斎宮(恬子内親王)と密通して(「伊勢物語」第六十九段「狩の使」)もうけた子供が丹波守の高階茂範の家を継ぎ、高階師尚といった。
その後裔である長野業正は上州箕輪城に居住し、千五百騎を指揮する身上であり、太田資正入道三楽とともに上杉家無類の忠臣であったが、おのおの大功を立てられず、鬱々として病死してしまった。
長野業正が在原業平の子孫とされたのは有名だけど、業平の東下りでできた子供の子孫のはずだから高階氏とは関係ないはず。
高階氏と在原業平との話は、来年の大河で藤原定子(高階貴子の娘)の息子で藤原彰子に養育された敦康親王が春宮になれない理由で出てくるかも。
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