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本能寺の後の稲葉一鉄・悪い話

2009年02月19日 01:38

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 11:50:28 ID:lOCVxQI6
稲葉一鉄のちょっと悪い話

美濃三人衆と言われる割に稲葉一鉄以外の織田家での活躍はあまり聞かない
当然といえば当然である
氏家卜全は長島攻めで早々に討死
安藤守就は後方支援が多かった上に武田勝頼との内応を疑われ一族揃って織田家を追放されていたのだから
その安藤守就のもとに本能寺の変が伝わる
生活支援してくれていた竹中重治(半兵衛、娘婿)も死んでおり気が焦ったのか、はたまた織田家が本気で憎かったのか、止められぬ野心に火が着いたのか
信長の死で混乱する美濃で息子と共に旧領回復の兵を挙げたのである
これに相対したのが当時織田家美濃衆筆頭だった稲葉一鉄
ところが一鉄は一鉄で独立しようと画策し旧美濃勢に檄を飛ばしたりしていた
結局、二人は相容れる事無く北方城で交戦に及び安藤守就は自決、一族は虜囚の身に
しかし一鉄にとっては単に一地方の問題で済まなかった
ここで日数を喰ったが為に美濃での地盤を固める前に秀吉が帰ってきてしまった
瓦解すると思われた織田家の組織的な逆襲が始まってしまったのだ
ちなみに
本能寺の変が6月2日
秀吉の姫路城帰着が6月7日
安藤守就自決が6月10日
秀吉の尼崎着陣が6月11日
山崎の戦いは6月13日
すると一鉄、腹いせか証拠隠滅の為か安藤守就の一族を火事場泥棒扱いして女子供を含めて皆殺しに
その後は独立の檄文も守就達不平分子の謀略と表向きは処理しつつ地盤固めの為に暗躍した
しかし秀吉の台頭がはっきりしてくると何食わぬ顔で織田家美濃衆筆頭として秀吉と合流
賤ヶ岳でも秀吉と共に戦っている
もしもキルヒア(ry、竹中重治が秀吉の側近として生きていたら…
歴史は違う方向に動いたかも知れない




135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 12:07:35 ID:iKghjJ6g
西美濃で一鉄と安藤守就が激突、その後も一鉄暗躍
東美濃で鬼武蔵が無双

信孝テラカワイソス
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