ローマの安土城屏風・悪い話

2009年02月20日 00:03

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 22:01:01 ID:zkMzgi0c
安土城屏風の行方が不明と伝えられ久しい。
滋賀県観光課がローマで探したが見つからないとか。
安土城下を狩野栄徳が描いた渾身の作、信長の時代を代表したであろう
傑作であり、正親町天皇が観るなり信長に所望したが断られたという
いわくつきの作品でもある。
信長が己の名声栄華を伝えるべく、ローマ法王に贈るつもりで描かせたもの
であったから天皇の所望でも退けてしまった。

天正9年9月、イエズス会巡察師ヴァリニアーノにこの屏風は託され、翌10年1月、
長崎を出港した。天正遣欧使節であった。
伊東マンショら運命の4少年らと共に同12年4月喜望峰を通過し、
13年3月ローマ法王グレゴリオ13世に謁見、屏風はバチカン宮殿に
飾られることとなった。

ところがである、この世紀の傑作を当時の西洋世界、ルネッサンスの絢爛たる
芸術の栄華、ブルネレスキ、ミケランジェロ、ラファエロ、が花咲く
ローマ市民、宮殿の住人らは、美として正当に評価できる能力を欠いていた
のである。

屏風は東方の一資料としてバチカンの地図室に飾られ、その後行方不明
となってしまった。
ただ、屏風の枠ではないかと想像される木片がいくつかあったとか。

その一方で、大友宗麟、有馬晴信、大友純忠がイエズス会長や
ファルネーゼ枢機卿に宛てた手紙の一部はイエズス会本部に
しっかりと保管されていた。

更に大友宗麟の手紙とは、本人の知らないうちにどこかで作られたもの、
偽書であった。

かなり悪い話。




187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 22:43:50 ID:6ZHaDM08
ルネサンス期の芸術と天正文化は合わなかったのかもね。
印象派が流行った時代に贈ってれば大事にされたろうに。

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 22:45:50 ID:RAmW4BFX
つーかキリスト教文化以外に価値を認めていない。

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 22:46:42 ID:Zyujev8S
>>188
ルネサンスを勉強し直し。

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 22:50:15 ID:RAmW4BFX
>>189
いやだからw
信長の頃はもう、キリスト教会からの開放と言うべきルネサンスは収束してて、
対抗宗教改革全盛の時代。
「イエズス会」がどういうものか考えれば、分かるでしょ?

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 22:51:42 ID:11nWL5M/
ここはそういうすれじゃないよ

192 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/19(木) 22:52:36 ID:6ZHaDM08
>>188
むしろ初めてキリスト教以外の文化に価値を認めた時代
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