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堅田源兵衛の首

2009年02月21日 00:11

蓮如   
64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 07:42:23 ID:40krjqho
堅田源兵衛の首

応仁の乱の頃、蓮如上人法難に遭う。
急速に信徒を増やす真宗に対し、
天台宗、比叡山延暦寺は僧兵三千人で本願寺を焼き打ちした。
蓮如は親鸞の木像を背負い、京都から大津へと逃げたが、
やがて追い詰められてしまった。
大津には延暦寺と同じ天台宗の三井寺がある。
しかし教義解釈の違いから比叡山とはあまり仲がよくなかった。
蓮如が避難場所に選んだのはその三井寺であった。
比叡山と仲が悪いとは言え天台宗である。
蓮如はあえてその敵の懐に飛び込むことにしたのだ。
 三井寺は蓮如を保護した。比叡山の鼻を明かすことにしたのだ。
蓮如は三年留まり、やがて福井へ赴いた。
親鸞の木像は三井寺が預かり置くこととなった。

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 07:43:12 ID:40krjqho
やがて蓮如は京都に戻り山科本願寺を建立した。
後は件の木像を迎えるばかりとなった。
しかし勢力を拡大した蓮如に対し、三井寺は木像を返そうとはしなかった。
そればかりか無理難題をふっかけてきた。
「どうしても人の首が二つ要る。本願寺が首を二つ差しだせば、喜んで木像はお返しする」
しかし信仰心篤い信者達でも、己が首を進んで差し出そうとする者はいなかった。

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 07:44:37 ID:40krjqho
近江国の堅田に大変熱心な門徒衆がいた。
源右衛門と源兵衛という漁師の親子である。
首の話を聞くと、
「私達は魚の殺生を生業とする漁師です。その私達がお役に立てるなら」
自らの首を差し出す決心をしたのである。
源右衛門は息子の首を切ると三井寺へと向かった。
源右衛門「これは私の息子の首です」
三井寺「もう一つ首が足らない」
源右衛門「もうひとつは私の首です。どうか打ち落として受け取って下さい。
そして木像を返してください」
三井寺は親子の篤い信仰心に胸を打たれた。
そのため源右衛門が首を落とすことなく、無事親鸞の木像は返された。
源平衛の首も手厚く葬られたという。
その後父源右衛門は、諸国巡礼の旅の末、備後国で没したと伝えられている。





67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 08:12:14 ID:V0GYMip0
現代人の感覚ではとても良い話とは思えんな

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 10:51:31 ID:PfMJ6j7d
>>64-66
悲しい話だね(´・ω・`)
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コメント

  1. 人間六七四年 | URL | -

    カルト教団のために自分の息子の首を切り落とす・・・。
    やはり仏教は邪悪なり。

  2. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    本堅田の…何とかというお寺の寺宝だったな。
    (光源寺?)

    今でも源兵衛の首は大切に保管してあるのだと、その寺の娘さんがおっしゃっておられたわ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    どこぞの孔明みたいに人頭サイズの饅頭でも寄越してやりゃ良かったんだよ…(´・ω・`)

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