280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 09:29:55 ID:gTwDAqbK
【大名】江戸三百諸侯について語ろう4【藩主】より転載
949 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/02/22(日) 00:37:12
ttp://oniheru.fc2web.com/jinbutsu/sekigahara/sanada_masayuki-nobuyuki.htm
さて、真田家には「吉光のお長持」というのが代々伝わっていた。家老でさえ中を見たことがなく、常に4人の不寝番がいた。
中身は家康から拝領した吉光の短刀が納められいるとされたが、明治になって開けたときとんでもないものが入っていた。
なんと石田三成から届いた書状をはじめ、徳川家を敵にしていたころの危険な証拠書類が詰まっていた。
これが徳川幕府に発覚すれば、取り潰しの好材料になっていたにちがいない。
従順温和といわれた信之が危険な証拠書類を焼却せず、わざわざ不寝番をおいて秘蔵し、
後世に伝えたのは仇敵であった徳川家に対する反骨精神のあらわれであろうか。
関連
さいつ殿へ。石田三成から真田信之への手紙
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5999.html
313 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 20:37:26 ID:4MITIisI
>>280
このスレじゃ信之は苦労人で定着してるだけにギャップがあるな。
秀忠が信之を嫌ってたのも信之のこういう一面を見抜いていたからかも。
314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:06:24 ID:Clz+ljbC
>>280
なになに、兄ちゃんって三成と親密だったの?
手紙の内容どんなだったのか気になる
315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:17:19 ID:HGc8eq+7
>>314
かな文字だらけのすごい汚い字で見た瞬間吹いたな
まぁ三成は字汚いのが普通なんだけど。
たしか署名もろくにないようなメモ書きみたいな物もあって、
なんでこんなもん保存してんだ?って感じのが複数
「さいつとの(真田伊豆守の略)」って書いてるし親しかったんだとは思う
でも昌幸宛の関ヶ原の時の密書もそこにあったんだっけ?
316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:22:13 ID:64UbLOQt
>>314
にいちゃんの手紙というよりも昌幸とうちゃんのじゃないかな
でも、本当は西軍に付くつもりが父と弟に諭されて
家を残すために東軍に付いたみたいなことが証明される書簡だったりしてね
317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 22:59:20 ID:CSxvXv6D
>>280
嫁がアレだってのに、良くもまぁ処分せずにいたもんだ。
心臓に毛が生えているとはまさにこの事だな。
318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 23:31:44 ID:vHAHUOOp
なーに、あの嫁ならたぶん頭の中まで筋肉だから手紙なんて見t
319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 23:34:00 ID:CSxvXv6D
直前まで「殿様といっしょ」の真田さんご一家を読んでいたんで、衝撃二倍増しなおはなしだった。
【大名】江戸三百諸侯について語ろう4【藩主】より転載
949 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/02/22(日) 00:37:12
ttp://oniheru.fc2web.com/jinbutsu/sekigahara/sanada_masayuki-nobuyuki.htm
さて、真田家には「吉光のお長持」というのが代々伝わっていた。家老でさえ中を見たことがなく、常に4人の不寝番がいた。
中身は家康から拝領した吉光の短刀が納められいるとされたが、明治になって開けたときとんでもないものが入っていた。
なんと石田三成から届いた書状をはじめ、徳川家を敵にしていたころの危険な証拠書類が詰まっていた。
これが徳川幕府に発覚すれば、取り潰しの好材料になっていたにちがいない。
従順温和といわれた信之が危険な証拠書類を焼却せず、わざわざ不寝番をおいて秘蔵し、
後世に伝えたのは仇敵であった徳川家に対する反骨精神のあらわれであろうか。
関連
さいつ殿へ。石田三成から真田信之への手紙
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5999.html
313 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/26(木) 20:37:26 ID:4MITIisI
>>280
このスレじゃ信之は苦労人で定着してるだけにギャップがあるな。
秀忠が信之を嫌ってたのも信之のこういう一面を見抜いていたからかも。
314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:06:24 ID:Clz+ljbC
>>280
なになに、兄ちゃんって三成と親密だったの?
手紙の内容どんなだったのか気になる
315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:17:19 ID:HGc8eq+7
>>314
かな文字だらけのすごい汚い字で見た瞬間吹いたな
まぁ三成は字汚いのが普通なんだけど。
たしか署名もろくにないようなメモ書きみたいな物もあって、
なんでこんなもん保存してんだ?って感じのが複数
「さいつとの(真田伊豆守の略)」って書いてるし親しかったんだとは思う
でも昌幸宛の関ヶ原の時の密書もそこにあったんだっけ?
316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 21:22:13 ID:64UbLOQt
>>314
にいちゃんの手紙というよりも昌幸とうちゃんのじゃないかな
でも、本当は西軍に付くつもりが父と弟に諭されて
家を残すために東軍に付いたみたいなことが証明される書簡だったりしてね
317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 22:59:20 ID:CSxvXv6D
>>280
嫁がアレだってのに、良くもまぁ処分せずにいたもんだ。
心臓に毛が生えているとはまさにこの事だな。
318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 23:31:44 ID:vHAHUOOp
なーに、あの嫁ならたぶん頭の中まで筋肉だから手紙なんて見t
319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/26(木) 23:34:00 ID:CSxvXv6D
直前まで「殿様といっしょ」の真田さんご一家を読んでいたんで、衝撃二倍増しなおはなしだった。
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コメント
人間七七四年 | URL | q/vBGU8M
家康から拝領の吉光が納められてると言ってた時点で、とんでもないものが隠されてるらしいって当時の武士ならすぐわかったはず。
というのも、刀というのはすぐに錆びる。
現代人の常識では考えられんくらいに。
油を塗っておいても、油が空気で酸化して地鉄が白く曇ってしまい、そうなると研がないと曇りは落ちない。
だから、数日に一度は古い油を落としてまた塗りなおすという作業をしなければいけないのに、長持ちなんかに入れっぱなしにしてたら曇りどころか赤錆びて名刀がだめになる。
大名家には刀の手入れのための部署があったし、江戸時代は将軍家拝領の品はキズひとつつけないように大事にするのが当然だった。
ましてや神君扱いの家康公からの拝領の品を錆びさせるなんて論外。
忠誠心を疑われて取り潰されちゃあかなわんからね。
当時の武士がそんなこと知らないはずないから、その言い伝えを信じるものはいなかったはず。
( 2010年05月22日 05:37 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
実家の刀は30年くらい手入れしてないがさびてはいないぞ
( 2012年01月17日 13:39 )
人間七七四年 | URL | -
油の種類にもよるよ
鉱物性の油なら結構持つけど、植物性、動物性のはあまり持たない
江戸時代以前の日本だと植物性かな
( 2013年11月08日 17:52 )
人間七七四年 | URL | -
いざ徳川幕府が北から倒れた時(主に伊達関係で)
この手紙を出して「実は反徳川だったんだよねー^^」とか言って反旗を翻すつもりだったのかしらん、末恐ろしい。
( 2014年01月14日 03:33 )
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