504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 12:33:18 ID:TxOwsyww
戦国時代に興味のない人間にもその名は知られている武田信玄。
しかし、その弟、武田信繁について知っている人は今では残念ながら少数派だろう。
この弟、江戸時代には「まことの武将」として広く称えられていた本物の侍である。
日本が世界に誇れる文化「武士道」が思想哲学としても確立された江戸時代において、
武士たちに、本物の武士の心得として読み継がれてきた「武田信繁家訓」の作者でもある。
その武将としての行いは在世の時から、敵味方問わず賞賛されていたという。
永禄四年九月十日第四次川中島合戦で討死したときには、兄信玄はその遺体に抱きつき号泣し、
敵方の上杉謙信も「惜しい男を亡くした…」と残念がったという。
その他にも今に伝わる話として、
・豊臣秀長が兄秀吉に仕えるにあたって参考にしてのが信繁だと言われている。
・江戸時代の儒学者、室鳩巣に、聖賢(儒学、儒教の理想的な人物)として称えられている。
・その著書「武田信繁家訓」は現代でも現代訳が入手でき読み継がれている。
・在世時代に信濃統治に能力を発揮していたことから、信濃国人衆にも信頼されていたようである。
その証拠として信繁討死後には信濃国人衆の反乱が頻発するようになったという。
信濃でも認められていた話として、真田幸村の本名信繁は、武田信繁にあやかろうとつけたと言われている。
505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 12:43:43 ID:EJFJcow2
>>504
信繁「テンキュー…いや、Thank You!」
戦国時代に興味のない人間にもその名は知られている武田信玄。
しかし、その弟、武田信繁について知っている人は今では残念ながら少数派だろう。
この弟、江戸時代には「まことの武将」として広く称えられていた本物の侍である。
日本が世界に誇れる文化「武士道」が思想哲学としても確立された江戸時代において、
武士たちに、本物の武士の心得として読み継がれてきた「武田信繁家訓」の作者でもある。
その武将としての行いは在世の時から、敵味方問わず賞賛されていたという。
永禄四年九月十日第四次川中島合戦で討死したときには、兄信玄はその遺体に抱きつき号泣し、
敵方の上杉謙信も「惜しい男を亡くした…」と残念がったという。
その他にも今に伝わる話として、
・豊臣秀長が兄秀吉に仕えるにあたって参考にしてのが信繁だと言われている。
・江戸時代の儒学者、室鳩巣に、聖賢(儒学、儒教の理想的な人物)として称えられている。
・その著書「武田信繁家訓」は現代でも現代訳が入手でき読み継がれている。
・在世時代に信濃統治に能力を発揮していたことから、信濃国人衆にも信頼されていたようである。
その証拠として信繁討死後には信濃国人衆の反乱が頻発するようになったという。
信濃でも認められていた話として、真田幸村の本名信繁は、武田信繁にあやかろうとつけたと言われている。
505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 12:43:43 ID:EJFJcow2
>>504
信繁「テンキュー…いや、Thank You!」
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コメント
人間七七四年 | URL | -
くそっ、こんなダジャレで吹いてしまうとは・・・
( 2009年04月06日 00:14 )
人間七七四年 | URL | -
信繁「パオッ!」
( 2009年04月06日 09:47 )
人間七七四年 | URL | -
殿いつのネタが出て来るとはw
( 2009年04月06日 09:57 )
人間七七四年 | URL | kyBjvhlc
とりあえず>>505はハングル板の駄洒落スレに連行の上、昭和ネタに塩漬けの刑だなw
( 2009年04月06日 15:10 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
なのに真田の信繁さんと来たら…w
( 2012年02月01日 09:27 )
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