490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 00:17:20 ID:I53Te73z
織田信長の配下に、谷大膳という武勇の士があった。彼は、信長の軍議にも参加を許されるほどの
信頼を得た家臣であった。
天正六年、秀吉の播州三木城攻めの時の事。秀吉はこの谷大膳を、自分の寄騎にしてほしいと
望んだが、信長はそれを許さず、加勢として送った。
その日大膳は既に、敵三騎と馬上にて槍を合わせ、ことごとく討ち取った。
そこで秀吉、今度は三木城の出丸である、”かさの丸”を攻めてほしいと頼んだ。これに大膳は、
「あの出丸は堅固であり、容易に攻め取れるものではない」と答える。
すると秀吉「日ごろ勇名高い大膳も、小城一つ攻め敗れぬのか?」と言い出し、その言葉に大膳は激怒、
これに秀吉も刀の柄に手をかけ一触即発の空気となる。が、そこに竹中半兵衛割って入り
「戦場の勝負こそ力を尽くすべきであろう!これは一体いかなる事ですか!?」
そうして蜂須賀小六も現れ、秀吉を抑えて引き下がらせた。
その夜、大膳の陣屋に秀吉、酒肴を持って現れた。「大膳殿、今日の武功は抜群でありましたぞ。
先ほどの事は全て私の過ちであり、大変後悔している。」秀吉はこのように謝罪した。
翌日、大膳は手勢を率いて、”かさの丸”を攻めた。
城の者たちもここを大事と防ぎ、激戦となる。
士五十騎、歩兵二百で城戸口を押し破りにかかるが、手負い死人、数知れずという状況となった。
そして終にこの城戸を押し破るが、大膳自身も数箇所に傷を負って跪いていた。
それを発見した三木方の、猩々皮の羽織を着た法師武者が引き返し大膳に向かう。すると大膳、
「私はもう疲れた。近寄って首を取れ。」
と呟いた。それを聞くとこの法師武者、走りかかって一太刀打つ。が、この時大膳、まだ諦めてはいない。
敵の草摺を取って引き寄せ、脇差を抜いて刺し貫いた。するとさらに三木方の者が引き返し
大膳を斬りつける。そこに当時十七歳の大膳の嫡子、出羽守が走り寄り、三木方の者たちを
打ち据えたが、その時大膳既に、息を引き取っていた。
秀吉は大膳が討ち死にした事を聞き、せめて屍骸であっても対面したいと陣屋を訪れ、
惜しい人を亡くしたと、涙に暮れたのだとか。
そんな、色々と考えさせられるお話。
織田信長の配下に、谷大膳という武勇の士があった。彼は、信長の軍議にも参加を許されるほどの
信頼を得た家臣であった。
天正六年、秀吉の播州三木城攻めの時の事。秀吉はこの谷大膳を、自分の寄騎にしてほしいと
望んだが、信長はそれを許さず、加勢として送った。
その日大膳は既に、敵三騎と馬上にて槍を合わせ、ことごとく討ち取った。
そこで秀吉、今度は三木城の出丸である、”かさの丸”を攻めてほしいと頼んだ。これに大膳は、
「あの出丸は堅固であり、容易に攻め取れるものではない」と答える。
すると秀吉「日ごろ勇名高い大膳も、小城一つ攻め敗れぬのか?」と言い出し、その言葉に大膳は激怒、
これに秀吉も刀の柄に手をかけ一触即発の空気となる。が、そこに竹中半兵衛割って入り
「戦場の勝負こそ力を尽くすべきであろう!これは一体いかなる事ですか!?」
そうして蜂須賀小六も現れ、秀吉を抑えて引き下がらせた。
その夜、大膳の陣屋に秀吉、酒肴を持って現れた。「大膳殿、今日の武功は抜群でありましたぞ。
先ほどの事は全て私の過ちであり、大変後悔している。」秀吉はこのように謝罪した。
翌日、大膳は手勢を率いて、”かさの丸”を攻めた。
城の者たちもここを大事と防ぎ、激戦となる。
士五十騎、歩兵二百で城戸口を押し破りにかかるが、手負い死人、数知れずという状況となった。
そして終にこの城戸を押し破るが、大膳自身も数箇所に傷を負って跪いていた。
それを発見した三木方の、猩々皮の羽織を着た法師武者が引き返し大膳に向かう。すると大膳、
「私はもう疲れた。近寄って首を取れ。」
と呟いた。それを聞くとこの法師武者、走りかかって一太刀打つ。が、この時大膳、まだ諦めてはいない。
敵の草摺を取って引き寄せ、脇差を抜いて刺し貫いた。するとさらに三木方の者が引き返し
大膳を斬りつける。そこに当時十七歳の大膳の嫡子、出羽守が走り寄り、三木方の者たちを
打ち据えたが、その時大膳既に、息を引き取っていた。
秀吉は大膳が討ち死にした事を聞き、せめて屍骸であっても対面したいと陣屋を訪れ、
惜しい人を亡くしたと、涙に暮れたのだとか。
そんな、色々と考えさせられるお話。
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コメント
| URL | 8IgMVvUk
谷大膳が討ち死にしたのは天正7年(1579年)9月平田合戦・大村合戦じゃね?
補給部隊攻撃&陣地防衛のはずの大村合戦で出丸を攻めるはずはないと思うが
あと半兵衛ももう死んでる(1579年6月)
( 2015年06月12日 06:16 [Edit] )
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