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小河内蔵允、主君黒田長政に・いい話

2009年04月12日 00:03

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/11(土) 21:21:34 ID:V+tLuVXn
悪いスレで小河内蔵允の家中のこと書いたので、ここでは彼が能臣であるエピソードを。

大阪の陣が終わったにも拘らず、黒田長政は江戸に留め置かれていた。
幕府にしてみれば、家康が死んだ直後であり、豊臣恩顧の大名でもある長政を警戒したのか、
なんと長政が筑前に帰ったのは、豊家滅亡の5年後であった。

さて長政。久しぶりに筑前に帰って来れて気が緩んだのか、我侭な振る舞いが目立つようになった。
家老達も「ちょっと羽伸ばしすぎじゃね?」と思ったが、冬の陣以来江戸に留めおかれて気苦労が
募っていた殿様を不憫に思ったか、誰も諫言しなかった。
そのうちに、江戸に参勤する時期が来たので、仕置家老である小河内蔵允に

「今度参勤する時に、将軍様を初めとして幕府のお歴々にプレゼント贈るから、栗山大膳と相談して
リスト提出してね」

と、命じて10日ほどたったころにリスト提出を求めた所、内蔵允からはまだ出来ていないと言う返答。
これに長政は不快に思ったが、さらに20日ほど待って提出を求めた所、またしてもまだ出来ていないと
言う返答に、遂にプッツン。

「お前家老の仕事を何だと心得取るんじゃコラ!!」

これに対し、 小河内蔵允の返答曰く

「いやぁ、私が選んだ物じゃあ幕府の皆さん喜びませんよ。ここは殿様が選んだ方がいいですよ」
「・・・・・・・・・舐めてんのか? お前は?」

長政、刀を抜きかねないほどの怒り様(そりゃ当たり前だ)
しかしここで小河内蔵允の本領発揮。

「恐れながら、当家の幕府への贈り物は、宝物ではなくて、殿様の行状を改めることにございます。
 幕府は殿を筑前にお帰しいたしましたが、それは江戸で隙を見せなかった殿に対して、国許ならば
隙を見せるのではという狙いがありましょう。
 未だ幕府は、殿や加藤嘉明殿、福島正則殿に対する警戒を解いてはおりませぬ。
 ここは殿の行状を改め、領内の安定に注ぎ、幕府に対する忠誠を折に触れて現すことが肝要。
進物は折を見て、時を見計らい、わざとらしくなく出せばよいかと」

この進言に、長政も思い当たる節があったのか、内蔵允の忠言を聞き、我侭な行動を謹んで
領内安定に努めたとか。




658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/11(土) 21:38:46 ID:bvoU2X+E
バカ殿を演じきって家を残した織田信雄は空気読める奴

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/11(土) 21:42:11 ID:NER/wsj9
演技としたら、三介殿も大したもんだ。
いや、演技力だけでなく忍耐力も。
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