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伊東義祐、他二人のちょっと悪い話

2009年04月16日 00:10

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 00:21:22 ID:ZYAuQNx4
伊東義祐、他二人のちょっと悪い話

菊池家の庶家である大河平氏は、今の宮崎県えびの市と小林市を領有していた
北原氏に従属していた。その北原氏の領地が伊東義祐に根こそぎ簒奪されると、
大河平氏はこの方面を任されていた島津義弘に従属した。
その後、北原氏の領地を相良家と島津家が協力して取り返すと、島津の庇護下で
飯野城に入った北原氏の庶家である北原兼親に従う。
大河平氏の当主は弱冠15歳の隆次。義弘に付けられた300人の派遣兵と自前の兵で
「今城」を守っていた。
そんなある日、隆次と北原兼親が些細な事から不和となるのだが、あろうことか
兼親はこれを根に持ち義弘に、「飯野城と今城はあまり遠くないので、すぐに
今城を救援できるため両方の城に兵を置く必要はありません。 今城の守兵は
撤収した方が良いでしょう」と進言した。
義弘は二人の不和を知らず、納得してしまい派遣兵を撤収させてしまう。

飯野地区を欲していた伊東義祐は、これを好機とばかりに今城を攻撃する。
ところが城は堅城で簡単に落ちそうにない。
そこで義祐は、当主が15歳の若輩者と舐めて掛かりこれを脅して降伏させようとした。
義祐曰く、「優れた鳥は木を選び、知恵者は明者を求めるもの。今、お主は
領地の大きさ、兵の強さを考慮すべきである。速やかに我が臣下となれば数城を与え、
武名を輝かせ、 末永くその栄華を子孫に残せる であろう。
しかし、この命令を聞かないのならば、こんな孤城なんか細切れにしてしまうだろう。
それをよく考えてみる事だ」。と脅した。

しかし隆次、弱冠15歳ながらこれに堂々と「賊め! 無情なる行いとわかっていて、
それでも人の国境に侵攻してくるような不徳の者に何故我らが従わないとならぬのか? 
汝は速やかにここより去れ! 当家は代々忠義を、黄銅の鎖の如くに固く貫くのを
家訓としている。このようになった上は唯々弓矢にて御相手するのみであり、
何故に汝の臣下に降って恥を軍門に晒せるものか」。と返した。

これに義祐53歳は「小僧めが、ぬかしおって!」と年甲斐もなく激怒、総攻撃を開始した。
・・・は良いが、城の間に渓谷があり、矢を放つが全く届かない。しかも近付けない。

そこで地元民を捕まえて城の裏道に案内させて、ようやく攻撃できるに至った。
もはやこれまでと、今城の城兵は城から決死の覚悟で打って出るが多勢に無勢、
隆次を始めとした全員が討死した。
一方の義祐も苦戦して兵を500余人も失った。

北原兼親であるが、今城へは援軍を寄越さなかった。
その徳の無さによる報いか、叔父が伊東に寝返ったのを切っ掛けに、城将らが
伊東、相良、菱刈を恐れて出奔したり裏切ったりしたため領地が激減。
結局、兼親では飯野地区は守れないとして、島津の一家臣として伊集院神殿村に
捨扶持を貰い移り住む。
そして飯野城にはちゃっかり義弘が入った。

今城はその後、史料に記録が探せないほどあっさりと伊東の手から離れる。
そして8年後、義祐は再び飯野地区を奪おうとするが木崎原にて大敗を喫し、
その数年後に義祐は日向から逃げ出しその全領地を失う。
三男・祐兵は秀吉に仕えた事で、その槍働きにより日向の一部旧領を取り戻せたが、
義祐本人には「末永くその栄華を子孫に残せる」ほどの器量はなかったというお話。




667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 23:59:38 ID:GBxJbBdw
>>655
15でそれだけの啖呵切れんのか…

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 00:33:00 ID:+qud6yJ9
>>667
たしかに15歳の発言としてみるとむしろ「いい話」かも。
しかし後2名のキャストが・・・だからw

ちなみにある論文でその後の北原氏のことを読む機会があったが
あの伊集院忠棟の甥に養子にはいられた上、
江戸時代になるとどうなったのかよくわからなくなってしまっているらしい。

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 01:46:37 ID:QjBTBPfe
>>671
「さつま」歴史人名集って本には、子孫は諏訪仲左衛門の付衆中って書いてある。
どっちにしても凄まじい落ちぶれ様だ。
関係史料もゼロに等しいから、他家の史料から探し出すしかないし・・・。

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 19:33:43 ID:y2hz727u
>>671
その後の大河原家が存続したりしてたら勧善懲悪な話になるだろうが
15歳じゃ子はまずいないだろうしなぁ

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 19:48:22 ID:CKr9l5WT
>>690
一応、隆次の姉のダンナが名跡を継いで、更に従弟が養嗣子として継いでるから
血筋は続いたみたい。
明治初期に子孫が「大河平騒動」とかいうのに巻き込まれてるし。

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 19:58:37 ID:y2hz727u
あら
家名が続いてるんならいい話じゃない
武家にとっては御家存続は名誉な事だろう
玉砕も報われるってもんだ

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 23:19:30 ID:+qud6yJ9

>>691
>大河平騒動
ぐぐーる先生に聞いても分からなかった。もしよければkwsk

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/17(金) 00:08:10 ID:X1H9IO77
>>699
唯一見つけた。
http://www.town-takajo.jp/syoukai/tyosi/016/029.htm
ここの「大楽哀話と戦場余話」以下が大河平騒動の事らしい。

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/17(金) 00:32:17 ID:qxOh2Izg
>>702
トン楠
複雑かつえぐい話ですね・・・

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