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戦国時代の善光寺について

2009年05月01日 00:08

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 09:09:54 ID:0NHwvtUi
今まさに善光寺御開帳の真っ最中なんで、戦国時代の善光寺についてのお話でも。

武田家と上杉家が川中島で争うようになると、上杉謙信は善光寺のご本尊様(善光寺如来)
以外の全ての仏様を越後へ移した。
これを見た武田信玄、「へっ、謙信の奴ぁやる事が半端だよな」と思ったのかどうか、
大胆にもご本尊様を甲斐へ移して甲斐善光寺を建立した。

その後、武田家は滅亡、善光寺如来は織田信忠によって岐阜へ移されたが、
落ち着く間もなく本能寺の変が起こって信忠が自害すると、今度は弟の信雄によって
清洲へ、そして次に家康の手にわたって浜松へと……。

さすがの仏様も人間の都合であちこちたらい回しされるのに疲れたのか、
ある日、家康の枕元に如来が立ち、「甲斐へ帰してくれんかのう…」と言ったそうな。
家康はこの言葉に従い、善光寺如来は再び甲斐善光寺へ戻ることになり、
とりあえずは一件落着……とはいかなかった。

秀吉「くっ、せっかく作った方広寺の大仏が地震で壊れちまった……」
秀吉「どこかに代わりの仏様はいないものか……そうだ!」
秀吉「フッフフフ、仏教伝来から伝わる善光寺如来こそ、我が方広寺の本尊にふさわしい」
こうして、善光寺如来は京へ迎えられた。

しかし、善光寺如来が京に入った頃から、秀吉は体調を崩してしまう。
京の人々の間にはある悪い噂が広まっていった。
「秀吉様が病に伏せるようになった原因は、善光寺如来を勝手に動かした
バチが当たったからなんだよ!」
「ナ、ナンダッテ-!!」
秀吉もこの噂はさすがに応えたのか、善光寺如来を元あった信濃に返そうと
決心したそうな。

1598年、善光寺如来はおよそ40年の歳月を経て信濃へ帰還する。

戦国という世の中に翻弄されたのは、何も人ばかりではなく、仏教伝来以来の仏様と
伝えられる善光寺のご本尊様とて例外ではなかったというお話。




97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 09:22:41 ID:1oCtzn1l
98年って秀吉がなくなった年だよな
まさか如来が信濃にかえるついでに・・・・

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 10:14:44 ID:FrOZcG9t
「甲斐」の善光寺にって時点でおかしいよなこの話。

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 14:13:29 ID:hRZkm8sD
善光寺は源頼朝が参拝の時に下馬の礼をシカトして馬で乗り込んだら
馬が勝手に回れ右したという「駒返し橋」が残ってたり武士に優しくない寺

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 15:11:55 ID:CGnprqNi
>>99
そりゃあやっぱり牛揃えで…

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 15:43:33 ID:rbBdRn6O
>>98
信玄の扱いがよくてそれが懐かしかったんじゃろうて

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 18:07:25 ID:3Esi6X3O
信州信濃善光寺は北京五輪のことあって何気に好感

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 18:24:38 ID:mHLnX8ws
武田織田豊臣と滅んでるのは祟りか何かか

なんで途中から甲斐から信濃に変わってるんだ?

105 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/30(木) 22:02:49 ID:1oCtzn1l
織田は別に血統たえてねえぞ

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 22:15:58 ID:rwLX0d82
>>105
嫡流は絶えてる

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 22:19:48 ID:SbRwc/FM
そういうことを考えていくと上杉も徳川も嫡流は絶えてることになるな
そもそも謙信は山内上杉のry

となっちゃうから揚げ足取るのやめよう
めんどくさい

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