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六角義郷、家の名を惜しむ・いい話

2009年05月17日 00:11

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 19:32:10 ID:LrzJ8vOo
関ヶ原の決戦が終わった後

徳川家康は自分に味方した諸大名と、大阪において対面したのだが、その中に一人、
三成の地元近江において、三成の誘いをはねつけ西軍と対立したにもかかわらず、
出仕をしてこない者がいた。

近江の名族の末、六角義郷である。

そこで家康は近江の義郷の元に使者を送り、急ぎ出仕するように言ったが、
義郷は、このような書状をもって返した。

『ご使者を派遣いただき、真に過分の至り。弓矢の面目、これに過ぎたものはありません。

ですが、内府の仰せに従い、義郷が只今まかり出ましたならば、世間は三つの事を
噂するでしょう。

一つは、三成達が秀頼公の頼みであるからと、北国表に軍勢を出せと言った事を了承せず、
これに軍を出さなかった事、これを世間は、我々が臆病者だからだと言う事でしょう。

次に、我々は今まで内府とは、殆ど関係を持ちませんでした。にも拘らずご恩に預かれば、
時の勢いに従う追従者と言われることでしょう。

三つ目に、我が家は(秀次事件に連座したため)浪々の身であります。それ故に世間は、
食料も乏しく難儀の余り内府にへつらったと、そう申すでしょう。

大海は防げても、人の口は防ぎがたしと、古人も言われたそうです。
そのようなわけですので、家の名を惜しむため内府の命に従わざること、どうかご理解いただきたい。』


この書を読んで家康は、
「六角家の人々は、今の世の聖人とも言うべき方々だ。」

と、深く感動したそうである。


欲得の世間において、家の名誉のみを考えた、ある名家のお話。




648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 21:50:58 ID:emU9y0Lj
>>646
丁度勝った勝った恩賞恩賞と目の色変えてる連中に取り囲まれてるところだったから
余計心を打つものがあったんだろうな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    いい話のところ悪いけど、確かこの六角義郷って実在すら怪しまれてるんじゃなかったっけ。なんとかいう在郷の研究家がやたら持ち上げてて、その線にそった記述がWikipediaにやたらあって問題になってたり。

  2. 人間七七四年 | URL | kyBjvhlc

    佐○木哲氏のことかー
    『歴読』2009年4月号でも六角氏の事書いてた。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    江源武鑑の話だからね
    六角家の正当後継者と著者が主張する人物ががなぜ徳川家に召し出されてないのかという言い訳の所
    真偽どっちだとしても書き手としてはいい話にせざるを得ない部分だしね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    架空の人物もありなのか

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