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寺澤広高の武士論・いい話?

2009年05月17日 00:13

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 12:23:38 ID:LrzJ8vOo
>>635
こういう中馬のような人に対する、一方の見解


寺澤志摩守広高の客分に、堀江宗信と言う者がいたのだが、
この人は泉州堺の生まれで、上方の侍に知り合いが多かった。

ある時この堀江が寺澤に、大和の何某と言う侍が、関が原において
見事な討ち死にをした顛末を語った事があった。

この大和の侍、何某と言う者、自分が銭をどれほど所持しているかも、
米がどれだけあるかも知らないという男で、

「真の武士と言うべき男でござった」

と、堀江が言うと、これに寺澤

「そのような者を、真の武士と言うべきではない。
世をうかうかと過ごす、益体無しと呼ぶべきである。
そのような者は、十年も世が治まれば飢えと寒さに苦しめられ、武具ももてないほど
落ちぶれるに決まっている。

当節、人への観察眼や自分の家の経営のことも知らないような者を、よき侍だ、などと言うことが
流行っている。
そう言う人間が運よく戦に当たり、討ち死を遂げられれば幸せ者だと言っていいが、
そんなもの、めくら打ちをして、たまたま当たっただけの話だ。」

そう、批評した。

戦う事しか考えられぬ様な者が武士なのではない。いざと言う時の為にも、自分の家を
きちんと経営出来る者こそ真の武士なのだ。

そんな寺澤広高の武士論。




638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 14:36:19 ID:YldkzTVV
>>637
苦労人の某お兄ちゃん思い出した・・・

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 16:33:32 ID:3kr+qTeA
寺澤広高に領国経営のなんたるかを説かれてもなぁ。
住民弾圧しすぎで天草一揆を引き起こして、息子の代には改易ってことは自分も同類。

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 17:24:15 ID:N7hk9jpK
>>639
唐津での寺沢は名君として有名だぞ。天草の場合は飛び地で実入りも低いので、
唐津ほど熱心に民政しなかったとも言われているし。
ついでに言えば、寺沢の場合は島原の乱では減封処分だったはず。
で、当主がそれを苦に自殺して嗣子がいなかったので断絶。

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 17:52:12 ID:BYkzEHse
>天草の場合は飛び地で実入りも低いので、
>唐津ほど熱心に民政しなかったとも言われているし。

全く駄目ジャン、地元の身贔屓で名君と呼んでるだけかよw

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 18:35:13 ID:3kr+qTeA
>>640
天草を弾圧して搾り取ったおかげで唐津は繁栄したとも言われているらしいよ。
その結果があの一揆につながったとの見方もあるみたいだし。
少なくとも鈴木重成の切腹事件の内容を見る限り、寺澤氏はまともな政策を行っていないことは明白。

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 19:25:08 ID:vkBEPTzY
>>640
せいぜい二万石がいいとこの天草を四万二千石で徴税したのは広高じゃん

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 19:32:31 ID:2PR8y5RU
まぁ一揆に参加しなかったら焼き討ちされるんだから参加せざるを得なかったんだろうな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | kyBjvhlc

    寺沢って豊臣秀吉の頃にはいつの間にか九州大名の取り次ぎ役に納まり、秀吉死後はあっという間に徳川家康の元で、やはり九州大名の取り次ぎ役にちゃっかり居座ってますね。一体どこがどう気に入られたのか、ろくな功績がないのに最終的に久留米21万石に納まった有馬並に謎であるw

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