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島津家久(悪)「当山で一番の茶の実を持って参れ!」・悪い話

2009年05月31日 00:05

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 19:03:40 ID:alKXMNjB
ようし、愛妾集…もとい愛称集も出来たところで
家久(悪)の話、いくよー。

薩摩藩の日当山で茶の栽培が始まって暫くのこと、家久(悪)は自国の茶と京の茶の味を飲み比べてみようと思った。
思い立ったが吉日なのか、単に堪え性が無いのか、行動力に溢れているのかは分からないが
とにかく家久(悪)はこう言った。
「明日にでも日当山で一番の茶の実を持って参れ!」

これに日当山の百姓達は大変困った。
百姓達は茶を専門にしているわけではなく、他の作物も耕しており
今は麦の収穫の真っ最中だった。

「殿様の仰せに従っていては畑仕事も進みません、何とかしてください」
百姓達に泣きつかれた地頭の徳田太兵衛は、その日のうちに一人の老婆を伴って城を訪れた。

これに家久(悪)は大喜び。
「おお、『明日まで』と言ったのにその日のうちに参るとは忠義者よ。
 して太兵衛よ、茶の実は何処じゃ?」
太兵衛は老婆を伴ってきただけなので当然茶の実などあるはずが無い。
だがしれっとこういった。
「はい、これなる老婆こそ、日当山一のちゃのみにございます。」
これには家久も怒って
「馬鹿を申せ、ここに居るみすぼらしい老婆が茶の実なものか」
だが太兵衛は動じない。
「いえいえ、この者こそ「日当山一の茶飲み」でございます。
 何せい朝も昼も茶に興じ、この時期も皆が麦の収穫で忙しく、猫の手も借りたいと言うのに
 茶ばかり飲んで居るから村の者からつまはじきにされている始末でございまして。」

家久も太兵衛の言わんとすることを察したのか
「あー、わかったわかった。茶飲みなど麦の収穫の後でよいわ。
 忙しい時期に無茶を言ってすまなんだな」
と茶の収穫を撤回して太兵衛と老婆を帰らせた。

子供っぽいわがままで領民を困らせた家久(悪)のちょっと悪い話。

関連
島津家久(悪)「当山で一番の茶の実を持って参れ!」別バージョン


887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 19:10:55 ID:rmoTR0ca
>>886
この家久は傍迷惑じゃあるが、素直で良い事だw

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 19:24:50 ID:uOqOEOo9
>>886
誰が上手いこと言えと(ry
ってかお茶の栽培までやってたのか薩摩藩…

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 19:24:57 ID:alKXMNjB
あ、狙って書き込んだわけじゃないけど
伊達政宗⇒細川忠興⇒島津家久とDQN四天王の話題が続いてるなぁ。

>>887
徳田さんと家久の逸話は他にも色々鹿児島に伝わってるのですが
逸話での家久は殆ど一休さんの将軍様のようなポジションですw

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 22:22:25 ID:alKXMNjB
>>888
>ってかお茶の栽培までやってたのか薩摩藩…
義久のタバコ、義弘の養蜂が一定の成果を挙げていたので
家久もそれを見習って新しく産業を興した…という説があります。

まあ、どんな動機ではじめたのかは分かりませんが
お茶の栽培は江戸時代から今日まで続き、鹿児島の県の茶葉の生産量は
静岡に次ぐ全国2位にまでなりました。

ttp://www.makinouen.co.jp/ocha_deta.html

お茶が今の鹿児島の産業に一役買っているところを見ると
やはり家久にも「島津に暗君なし」という言葉は当てはまるのかもしれません。

とはいえ、夥しい数の家臣誅殺、妹婿のだまし討ち、正室への扱いなど
正当化が出来ない事績も多くやはり彼は名君とはいいがt…
おや、こんな時間に誰か来たようですね、ちょっと見てきます。


904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 22:37:45 ID:uOqOEOo9
煙草
薩摩焼
養蜂
焼酎
砂糖
茶←new

鹿児島ってそんなにお茶の生産が盛んだったのか…
良いことを知った


忠恒も決して暗君とは言えないとは思うよ
並の君主だったら権力の集権化なんて出来ないし薩摩武者らしく武勇もある
ただ人間的には…な
…なんか外から叫び声が聞こえたな。ちょっと見てくるか

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 22:47:16 ID:rEqSiNFW
暗君どころか、あの当時の大名の中でもトップクラスの頭の良さだったと思う>忠恒

性格はともかく。

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 23:01:44 ID:OjkfXRGm
義久の制止を振り切って謝罪しに上洛したり関ヶ原以後の対応は素晴らしいな。

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 23:24:34 ID:UF7UdQyn
>>906
関ヶ原の上洛はあんまりイメージ良くないなあ
結果的に功を奏したから良かったけど、
同じように上洛して改易されたり減封されたりした家がある以上
慎重に動くのは当然なのに、独断で上洛と言うのは大胆すぎると思うよ

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 01:15:30 ID:eS+EUT2M
有能な狂人ほど手がつけられるぬものはなく・・・

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 03:39:17 ID:BTZG0umo
森さんは早死にして未知数な部分が有るが、他3人は能力だけなら間違いなく優秀だからな
というか能力と人間性のギャップが面白い

910 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/31(日) 03:50:22 ID:U2XFRhSn
>>903
三歳「わしはガラシャを大切に扱ってきたのにこんな奴と同列なのか…orz」

とかいいたそうに見ているが、
三十六歌仙、百人一首(違)、万葉集(コレも違う)、妹婿の謀殺etc

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 08:40:22 ID:oCAzGZ+b
>910
お陰で病んだ妹にあわや斬られそうに……越中守


912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 09:46:07 ID:Y1VFDHBP
>897 殿

それは、楚の成王の話ですね。結局、聞き入れられませんでしたが。

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 12:26:01 ID:yP0PCmat
>>904
鹿児島茶の生産は二次大戦後に大幅増産したんじゃなかったっけ
確か水を大量に使うのでシラス台地的な問題もあり引水に苦労したとか

ダムとか井戸掘りとか技術改善で作付け面積が増えたので
だいぶ後になってからブランドも出来て段々有名になってきてるところ

知覧・頴娃らへんはどこ行っても一面茶畑ってイメージしかないわw
あと日新斎が養蚕をかなり奨励して成功したとか。今は面影は殆どないけど。

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 14:19:21 ID:yllIt3qH
しかし大名ってのは自分で戦争の指揮はするわ資金調達はするわ産業は育成しなきゃならんわ、
臣従したり離反したり暗殺されたり籠城したりで大変な職業だなw胃がもたんだろうw
政治家+軍人+なんでもやる課+ヤクザって感じかね

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 15:02:29 ID:qdmkr+62
>>913
ちゃんとした畑を作って生産したのは明治以降(輸出品にしようとした)、
戦後の復興事業の意味合いもあって太平洋戦争後に本格的な増産に乗り出したそうです。
江戸時代は民家の生垣や畦道でお茶を栽培していたとか。

既存の畑を潰さないで済んだので上手いことやったつもりなのかもしれないけど
領民にとっては負担が増えただけなので、
喫茶や喫煙の特権を与えて懐柔を図ったとか。

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 17:35:27 ID:SzNDtlBM
>>904
あと「鉈豆」の栽培もあるぞ>薩摩

豆を採取して煎じて飲むと膿取りの効果があるらしい>健康食品として市販されてるw

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 18:02:55 ID:gIZrJFZX
あとは豚だな
日本の中世、近世は仏教の影響で肉を経常的に食べる習慣はあまり根付いていなかったが
薩摩では戦国時代から豚と鳥は「歩く野菜」だからという言い訳を作って喰ってた
貿易の玄関口として肉食を行う中国、琉球との交流があったからと思われる

本格的な養豚は家久(悪)が始めたらしい
琉球出兵時には琉球の豚を何匹か持ってきてるし江戸の藩邸でも飼育されていたようだ
薩摩武士を屈強せしめたのは豚肉パワーがあったのかもしれない

今ではかごしま黒豚として売り出してるね
ttp://www.k-kurobuta.com/index.html

カブラルとか宣教師も肉喰いたかったら薩摩行けば良かったのに

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 18:41:24 ID:JUEZYW7n
薩摩の郷土史家の爺さんから聞いた話だが、樟から樟脳作って外国に売ってたってな話しもあり。
(戦国末~江戸初期らしい。)
生産が間に合わなくて、幼木や根っこまで使ったとか。

「火薬の原料云々」と言ってたので、それは硝石とツッコミ入れたかったが我慢したw
まあ普通に防虫剤としての需要だと思うけど。

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 18:55:17 ID:Fhu6JrBW
歴代当主の努力が透けて見えるようで泣ける
こんだけ努力しても薩摩藩の財政が火の車だった事実も相まって更に泣ける(;_;)

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 19:00:50 ID:juRNul7X
江戸時代の大藩で借金の無い所なんて殆どなかったよなぁ・・・

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 19:37:03 ID:SzNDtlBM
借金の解決法=踏み倒し だからな

単なる踏み倒しじゃなくて、門閥との姻戚関係結ぶとか、領内の特産品独占とか
そんなのと引き換え、だけど

幕末の薩摩藩は半分返しただけでの踏み倒しだけど、それでも商家からは
喜ばれたそうな>つまり他の大名家はほとんど・・・

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 19:44:36 ID:gIZrJFZX
>>919
豚肉に関しては家久本人が喰いたかったからってだけな気がしないでもないけどな
他藩への輸出なんて絶望的だろうし(後年になって将軍家に献上したりはしてるけど)
あと豚は穀物を食うから人間と食い物を競合するし元が猪だけに飼育もメチャメチャ大変
茶も大規模生産じゃ無かったんなら先代の煙草や薩摩焼きとは違って
自分の好みで生産奨励してたんではという疑念が…
家久の業績を陥れる意図はないけどさ
奄美の砂糖奨励策は家久の代からだっけ?

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 19:47:08 ID:JUEZYW7n
菱刈鉱山が戦国時代に発見されていたら、少しは歴史も変わったのかも知れないw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E5%88%88%E9%89%B1%E5%B1%B1

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 19:59:59 ID:qdmkr+62
>豚肉に関しては家久本人が喰いたかったからってだけな気がしないでもないけどな
>他藩への輸出なんて絶望的だろうし(後年になって将軍家に献上したりはしてるけど)
何の因果か、幕末には徳川慶喜が豚肉にハマッています。

小松帯刀が世話役を務めていたときに献上したのがきっかけで
豚肉の美味しさを知ってからは、
何かに付けて小松に豚肉を催促するようになったとか。

当然豚肉もタダではないので小松の財布はたちまちカラッポになり
「また豚一さんが豚を所望してきた。私の給料ではもう賄えない。
 済まぬが御義父上からお金を拝借してもらえないだろうか」
と、奥さんの実家へ金の無心とお詫びと愚痴を綴った手紙が今も残っていると言う…

篤姫は見てなかったけどこのエピソードあったのかな…
スレ違い失礼。


925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 20:17:59 ID:Fhu6JrBW
義久が奨励したタバコは現在は縮小、義弘が奨励した薩摩焼は伝統工芸化
家久(悪)が奨励した茶と豚は藩政時は振るわずとも現在では鹿児島で一大産業に
先見性があるのやら無いのやら

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 21:01:07 ID:DixDWXHU
>>922
琉球や薩摩じゃ賄賂や贈り物に豚肉送ることもあったそうな
琉球じゃ中国からの使者の接待の度に豚を大量に消費したって記録にあるし、
嗜好品や物々交換にも使えたので薩摩領内じゃ豚肉の価値は高かったのさー

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/31(日) 22:22:31 ID:oCAzGZ+b
>928
元来中国じゃ大事な祝い事や、是非とももてなしたい相手に豚を振る舞うんだっけ

琉球や明と貿易やってると必然的に豚を屠ってアピールしたい場面もあったかもね。




……ミ●ター味っ子か何かの受け売り半可知識なので間違ってたらゴミン


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | kyBjvhlc

    コメント>>906
    >関ヶ原以後の対応は素晴らしいな。
    伊集院一族を「誤射でした」と狩りに見せかけて鉄砲で撃ち殺したり
    琉球に出兵して今も禍根を残す問題の根元を作ってみたり
    平田増宗を暗殺した後、言い訳がましいお詫びのメールを義久に送ってみたり
    本多正信に「うちの嫁は年増で立つ物も立たないんで妾抱えたいんですけどいいっすか」と言って呆れられ
    その義久が死んだ後「あ~せいせいした」と正室を追放した+若い女を大量に囲ったり

    まあ、素晴らしいかも知れませんですね
    ネ タ 的 に は。

  2. 名無しさん@お腹いっぱい。 | URL | -

    ↑あのさ、「対応」って言葉の意味分かってる?

  3. 人間七七四年 | URL | kyBjvhlc


    伊勢貞昌乙

  4. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    903-906のレスがダブってるね
    それにしても薩摩藩は本当に何でもやってるんだなぁ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    まあ、茶栽培の奨励をしたのはアレな家久じゃなくて、その子孫の斉宣からなんですけどね。ソースは淡交社の『煎茶を学ぶ』という本。

    >何でもやってる
    でも貧乏藩…・゚・(´Д⊂ヽ・゚・

  6. まとめ管理人 | URL | -

    Re: タイトルなし

    修正しておきました。ご指摘ありがとうございましたー。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※1、3
    ↑馬鹿乙
    火病んなよ。対応正解だろ。女囲ったとか関係ねぇし。馬鹿乙
    火病って長文投稿して
    ネ タ 的 な 意 味 で 素 晴 ら し い 対 応してるなてめぇは。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    五年も前のコメントに因縁つけるとかヒマやな

  9. 人間七七四年 | URL | -

    鹿児島人だが茶の生産してるって他県にあんま知られてないのか(愕然
    静岡の茶はほとんど鹿児島産の茶葉がブレンドされてるんだぜ!茶といえば静岡みたいな流れあるけど、鹿児島も名前あがってもおかしくないレベルだと思うんだがな…宣伝下手な県だからなあ…

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