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長野業盛家臣、安藤九郎左衛門の覚悟・いい話

2009年06月06日 00:06

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 10:48:54 ID:BOmyUVMV
長野業政が病死し、武田信玄による上野攻めがいよいよ本格化する。
信玄の先手、那和無理之助の手勢200余騎は、秋間山を越え鳥川を渡り、
鷺坂長信の砦を攻め立てた。

この時鷺坂は長野氏の主城、箕輪におり、砦には留守の者たちしかいなかった。
彼らも必死で防戦したが衆寡敵せず、ついに砦を捨て箕輪へと落ち延びていった。

無理之助は砦を放火すると、敗兵を追撃し白岩山に至る。ここで箕輪より、
老将、安藤九郎左衛門、100騎ほどを引きつれ援軍に現れた。

彼は那和勢と激突、3度まで敵を追い崩したが、深入りした所を狙われ終に討ち死にした。
その首を取る折、安藤の直垂の裏より、血に塗れた一首の歌が見つかった。

『老いの身は 何国(いずこ)の土になるとても 君が箕輪に心留まる』

これを見た人々は皆、安藤を感賞しないと言う事はなかったと言う。

長野氏の滅亡が目前に迫った時期の、ある武将の覚悟と忠義、のお話。





255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 12:11:27 ID:djkxJA2z
名は無理の助きた

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 16:09:56 ID:6pWaMSJG
名和宗安の名前が出るのは珍しいな
那波/那和、またはそのまんま縄とも書いた資料があるみたいね
通称の無理介のとおり、どんな無理でも押し通す頑固で豪傑肌の人物だったとか

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 16:18:51 ID:HPmoofU/
花沢城の逸話面白いなw 本当武田軍は戦あるたびに歌詠むのなw

無理の助 無理するわけでもないなら 道理の助に改名しろよとかw


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    那波氏か
    謙信の関東出兵に逆らうのは良いけど
    結局かなわなくて降伏して
    兄無理介は武田に落ち延び後に長篠で討ち死に

    弟は同じ大江系のキタジョウさんの娘婿になったけど領地回復は許されず、後に相模の北条に仕えるけど秀吉に滅ぼされちゃって
    結局上杉景勝に仕えるんだけど何故か息子がキタジョウさん最大のライバル、偶に話題に上る安田能元の跡継ぎになっちゃうんだよな
    ちと疑問なんだけど、この息子って結局キタジョウさんの血を引いてるんだろうか?

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