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小松姫の関ヶ原・いい話

2009年06月11日 00:12

小松姫   
349 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/06/10(水) 00:39:01 ID:dR/1w8cX
小松姫の関ヶ原

あまりに有名な話なのだが、まとめサイトで独立しては書かれていなかったので、記録の為に。
ご存知、戦国日本最凶・・・ではなかった最強の鬼嫁としてその名を日本全国に轟かす小松姫。
義父に戦国謀略横綱(東の正横綱)真田昌幸、義弟にKY赤備え真田信繁、そして亭主は

戦国一胃痛の似合う男、真田信之(この頃は信幸)である。

会津攻めと言う事で義父義弟と亭主は出征して小松姫は沼田はお留守番だった。(そりゃそうである。)
さて、その頃犬伏(栃木県小山市あたり)では亭主と義父と義弟はあの有名な犬伏の別れとなってしまった。
当然義父と義弟は上田へ帰るのだが、途中には沼田がある。寄っていこうと考えるわな。『いろんな意味で』
ところが亭主の信幸は使者を走らせて状況を先に沼田に知らせていたようである。
昌幸が沼田へ到着し孫の顔を見たいから城に入れてくれと言ったところ。門から出てきたのは、
お留守番の完全武装の小松姫を総大将とする完全武装した留守居役と侍女達。
既に殺る気満々の姿だったのだ。そして小松は舅の昌幸に対してこう言った。

小松姫「もう敵味方の間柄になった故、大殿と言えども門をあけるわけには参りませぬ !」

昌幸もこうなれば退散するしかなかった。仕方ないので城の近くの寺で休憩を取ったところ。
今度は、沼田から小松姫が孫2人を連れてやってきた。孫の顔を見たいという昌幸の願いを
かなえるためにである。ただし、寺のまわりには・・・・

護衛兵という名の監視部隊が昌幸達の動向を監視していたのだ。

これには昌幸も参ったらしく曰く

昌幸「さすがは本多忠勝の娘。武家の妻女はこうあるべきじゃ 。」

と感心したとか。謀略に対して筋で勝利した小松姫の格好いい話でした。
ちなみに昌幸唯一の敗北だそうである。(関ヶ原までは上田城を保っている。)

もう一つ付け加えると、小松姫は本多忠勝と側室の間の娘だそうで、
その母上の名は、「乙女」という事だそうである。





350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 00:53:11 ID:3MYY9TVA
>>349
実名わかってるのレアだな

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 02:16:06 ID:QmBjbvXs
あ、これまだ出てなかったんだw


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | LmMdU2V.

    坂本龍馬の姉「乙女」が大柄で男勝りだったという話が頭にあったので、小松殿の母も小松殿の母にふさわしく強かった……という妄想が沸いてますw

    乙女ではなく、「漢女」ってことでw

  2. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    かなーり前に、サラッと出てるけどね。こっちは沼田の家士を城に集めて上田からの謀略をも未然に防いでみせた話の途中で。

    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-464.html

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ああ、あのスレのあの人が鉄さんになってしまうww

  4. 人間七七四年 | URL | SFo5/nok

    この逸話に対する疑問

    これ有名な話だけど、史料というか、研究家の解釈によって、豊臣時代の沼田は、独立大名領扱いだよね。
    もし、そうならば、小松は人質として、伏見にいた可能性もあるし、その話は後世の創作となるのでは?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    なんの根拠もない「小松は伏見にいた可能性もあるから後世の創作かも」というSFo5/nokの妄想よりは、この逸話のほうが信憑性があるな。あっちこっちで取り上げられてるし。

    いい加減に信之夫妻に粘着するのやめろよ。
    あっちでもこっちでも信之夫妻に難癖つけてるだろおまえ。

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